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駅前を歩いていたら、某婦人の会という団体が街頭演説をしていた。

マイクを握った女性が、

「平和憲法を絶対に守らねばなりません!」
と、熱弁をふるっている。

別に、その主張に賛成か反対かという話ではない。

ただ、その言葉を聞いていて、
ふと引っかかってしまった。

「平和憲法」というけれど、本当にそうなのだろうか🤔

いや、現憲法が平和に役立っているという考え方はあるのだろう。

でも、それは考え方のひとつであって、
最初から疑いようのない事実なのだろうか、と。

もしそこに異論を持つ人がいたら、
その人にとっては話の出発点から違う、ということになる…

そんなことを考えていたら、
話の中身よりも、そちらのほうが気になってしまった。
前提が、そのまま結論になっていることがある。

「平和憲法を守れ」という言葉の中には、
「現憲法は平和である」
という考え方が、すでに入っている。

だから、その前提を共有していない人には、途中の説明がひとつ抜け落ちているようにも見える。


そういえば、電気自動車の話も似ている気がした。

少し前までは、

「電気自動車は環境に優しい」
という言葉をよく耳にした。

もちろん、そういう側面はあるのだろう。

ただ、バッテリーを作るにも資源は必要だし、製造時にはエネルギーも使う。
莫大なCO2排出量もあるというし…

寿命が来れば処理もしなければならない。

だから実際のところどうなのか、僕にはよくわからない。

ただ、「環境に優しい」という言葉だけが先行して歩いているように見えることはある。


結局のところ、僕が気になっているのは賛成か反対かではないのだ。

その前提は、本当に確かなのだろうか?
という、
そこなのだ。

人は意外と、前提を疑う前に、その前提を使って話を始めてしまう。

だから話が噛み合わなくなる。

片方は結論を語っていて、もう片方は土台を見ている。

見ている場所が違うのだから、当然なのかもしれない。

最近は、何かを聞いていても、
「それは本当だろうか」
というより、
「なぜそれが当たり前になっているのだろう」
のほうが気になってしまうことがある。

別に反対したいわけではない。

ただ、当たり前として扱われているものの裏側を、一度くらい覗いてみたくなるというだけなのだけど…


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