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先日、僕に対して、
あなたは配慮が欠けているのではないか?…といいうニュアンスで、
せめて今後はこんな観点を持ってみてください、なんて、
指摘だか、アドバイスだかをしてきた相手がいて、
そのことに対してずっと感情がくすぶっている。
歳を重ねると丸くなる、
なんて話を聞くけれど、
僕の場合は、どうもそうとも言えないらしい。
人に何かを指図されたり、
考え方を「それは違う」と諭されるような場面に、昔よりずっと疲れるようになった。
もちろん、
世の中には善意で言ってくれる人もいる。
「こうした方がいいよ」
「そんなふうに考えない方が楽だよ」
「もっと柔軟に」
まぁ、
言っている本人は、
たぶん本当にそう思っているのだろうし、
別にそれが悪いなどとは思っていない。
ただ、
こちらとしては、
その「正しさ」みたいなものを、
頭の上から被せられる感じがしてしまうことがある。
なんというか、
僕は僕で、
長いこと自分の感覚で生きてきた。
うまくやれなかったこともあるし、
遠回りもしているし、
考え方が偏っている部分も多分にある。
でも、
その不器用さ込みで、
どうにかここまで来ているわけで…
そこへ、
まるで「修正前提」みたいな顔で入ってこられると、
急に息苦しくなる。
若い頃は、
まだ「自分が間違っているのかもしれない」という感覚が、
今より強かったのだろう。
だから、
誰かの言葉を一生懸命飲み込もうとしていた気もする。
でも近年は、
違う人間なのだから、見え方も違う、
という感覚の方が強くなった。
だから、
諌められること自体よりも、
「その考え方は直すべきもの」という前提で来られることに、
言いようのない疲労感が生まれる。
別に、
誰とも分かり合いたくない、という話ではないのだけど。
ただ、
人にはそれぞれ、
長年積み重なった感覚や、
言葉にならない背景みたいなものがある。
そこを飛び越えて、
簡単に「正解」を置かれると、
僕は身構えてしまう。
そしてたぶん、
こういう感覚の奥には、
僕自身のひねくれた部分も混ざっている。
素直に受け取れない。
斜めから見てしまう。
「ほんとか?」と思ってしまう。
時には、
誰かの優しさにも、
励ましにも、拍手にも。
もちろん、
いつもそういうわけではない。
たまには素直になる時もある。
「あぁ、ありがたいな」と思えたり、
普通に笑えたりもする。
でも、
ずっとは続かない。
どこかで急に、
全部がうざく感じたり、
投げやりになったり、
やさぐれたみたいな気分になる日がある。
まぁ、
自分でも面倒くさいヤツだとは思う。
もっと真っ直ぐ生きられたら、
もっと楽なのだろうな…とは、
たまに思う。
でも結局、
ひねくれて見える景色の中でしか、
拾えない感覚もある。
だから、
無理に「いい人」になろうとしても、
どこかで反動が来る。
近頃は、
「ちゃんとしていない自分」を矯正し続けるより、
「今日はちょっとやさぐれてるな」くらいで、
放っておく方が、まだ自然な気もしている。
この前、
ふと、スガシカオさんの
「 Progress 」を思い出した。
僕が大好きな曲の一つだ。
“ぼくが歩いてきた 日々と道のりを
ほんとは「ジブン」っていうらしい”
そんな歌詞だったと思う。
「Progress」って、
意味を調べると、
進捗とか、前進とか、進行とか、
そういう意味らしい。
なんだか不思議だ。
僕自身は、
ちゃんと前に進めている感じなんて、
あまりしていないのに。
むしろ、
立ち止まったり、
やさぐれたり、
斜めに構えたりしてばかりだ。
でも、
そういう曲がりくねった歩き方も含めて、
これが僕の「Progress」なのかもしれない。
別に、
立派な話ではないし、
だからなんなんだよ?
という話なのだけど。
ただ、
ずっと機嫌よく、
明るく前向きな心で生き続けるなんて、
僕には到底できないらしいよ。
まぁ、端からする気もないのだけど…
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先日、僕に対して、
あなたは配慮が欠けているのではないか?…といいうニュアンスで、
せめて今後はこんな観点を持ってみてください、なんて、
指摘だか、アドバイスだかをしてきた相手がいて、
そのことに対してずっと感情がくすぶっている。
歳を重ねると丸くなる、
なんて話を聞くけれど、
僕の場合は、どうもそうとも言えないらしい。
人に何かを指図されたり、
考え方を「それは違う」と諭されるような場面に、昔よりずっと疲れるようになった。
もちろん、
世の中には善意で言ってくれる人もいる。
「こうした方がいいよ」
「そんなふうに考えない方が楽だよ」
「もっと柔軟に」
まぁ、
言っている本人は、
たぶん本当にそう思っているのだろうし、
別にそれが悪いなどとは思っていない。
ただ、
こちらとしては、
その「正しさ」みたいなものを、
頭の上から被せられる感じがしてしまうことがある。
なんというか、
僕は僕で、
長いこと自分の感覚で生きてきた。
うまくやれなかったこともあるし、
遠回りもしているし、
考え方が偏っている部分も多分にある。
でも、
その不器用さ込みで、
どうにかここまで来ているわけで…
そこへ、
まるで「修正前提」みたいな顔で入ってこられると、
急に息苦しくなる。
若い頃は、
まだ「自分が間違っているのかもしれない」という感覚が、
今より強かったのだろう。
だから、
誰かの言葉を一生懸命飲み込もうとしていた気もする。
でも近年は、
違う人間なのだから、見え方も違う、
という感覚の方が強くなった。
だから、
諌められること自体よりも、
「その考え方は直すべきもの」という前提で来られることに、
言いようのない疲労感が生まれる。
別に、
誰とも分かり合いたくない、という話ではないのだけど。
ただ、
人にはそれぞれ、
長年積み重なった感覚や、
言葉にならない背景みたいなものがある。
そこを飛び越えて、
簡単に「正解」を置かれると、
僕は身構えてしまう。
そしてたぶん、
こういう感覚の奥には、
僕自身のひねくれた部分も混ざっている。
素直に受け取れない。
斜めから見てしまう。
「ほんとか?」と思ってしまう。
時には、
誰かの優しさにも、
励ましにも、拍手にも。
もちろん、
いつもそういうわけではない。
たまには素直になる時もある。
「あぁ、ありがたいな」と思えたり、
普通に笑えたりもする。
でも、
ずっとは続かない。
どこかで急に、
全部がうざく感じたり、
投げやりになったり、
やさぐれたみたいな気分になる日がある。
まぁ、
自分でも面倒くさいヤツだとは思う。
もっと真っ直ぐ生きられたら、
もっと楽なのだろうな…とは、
たまに思う。
でも結局、
ひねくれて見える景色の中でしか、
拾えない感覚もある。
だから、
無理に「いい人」になろうとしても、
どこかで反動が来る。
近頃は、
「ちゃんとしていない自分」を矯正し続けるより、
「今日はちょっとやさぐれてるな」くらいで、
放っておく方が、まだ自然な気もしている。
この前、
ふと、スガシカオさんの
「 Progress 」を思い出した。
僕が大好きな曲の一つだ。
“ぼくが歩いてきた 日々と道のりを
ほんとは「ジブン」っていうらしい”
そんな歌詞だったと思う。
「Progress」って、
意味を調べると、
進捗とか、前進とか、進行とか、
そういう意味らしい。
なんだか不思議だ。
僕自身は、
ちゃんと前に進めている感じなんて、
あまりしていないのに。
むしろ、
立ち止まったり、
やさぐれたり、
斜めに構えたりしてばかりだ。
でも、
そういう曲がりくねった歩き方も含めて、
これが僕の「Progress」なのかもしれない。
別に、
立派な話ではないし、
だからなんなんだよ?
という話なのだけど。
ただ、
ずっと機嫌よく、
明るく前向きな心で生き続けるなんて、
僕には到底できないらしいよ。
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