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人はすぐ、
自分の見えている世界を、
“世界そのもの”みたいに話す。

「普通は」
「いや、それは違う」
「考えすぎ」
「気にしすぎ」

まぁ、
本人は現実としてそう見えているのだろうし、
別に嘘をついているわけでもない。

ただ、
その景色は、
あくまで“その人の窓”から見えているものなのだ。

でも人は、
そこを忘れる。

自分の感じ方が標準になり、
自分の痛くない場所は、
他人も痛くないと思い始める。

僕はあれを怖いと思った。

でも誰かは、
「そんなことで?」と言う。

逆に、
僕にはなんでもないことを、
深く引きずる人もいる。

たぶん、
どちらも本当なのだ。

世界の見え方って、
そんなに画一化されてはいない。

育った空気も違えば、
飲み込んできた言葉も違う。

人に笑われた記憶とか、
無視された感覚とか、
なぜか今も残っている声とか。

そういうものを、
人はそれぞれ抱えたまま生きている。

だから、
同じ出来事でも、
受け取り方が、
さらに経験のされ方が変わる。

なのに、
「自分は平気だったから」
という理由だけで、
他人の感覚を雑に踏みにじる人がいる。

踏みにじっている自覚は、
ないのかもしれないけれど。

でも、
自分のルールで、
他人の内側まで測ろうとすると、
だいたいどこかで壊れる。

“あなたの普通”と、
“僕の普通”は…


そもそも別の生き物なのだ。

だから、
分かり合えないこと自体は、別に悪ではない。

ただ、
分からないなら、せめて決めつけるなとは思う。

知らない景色を、知った顔で語るな、と。

あなたはあなたで、
私は私。

そこをごちゃ混ぜにした瞬間、
たぶん人は、
他人を雑に扱い始める。


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