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今日はこどもの日。

でも、僕にはあまりそういう感じはない。
というのも、5月5日は、父の祥月命日なのだ。


今さら、故人のことをどうこう言うつもりもないのだけど、
僕の父は、都合が悪くなると、家に帰ってこない人だった。

いずれ向き合わなければいけないことがあると分かっているはずなのに、そこを避けて、
結局あとで、ちゃんと修羅場になる。

そういう人だった😅

そんなことを、なんとなく思いながらふと思う。

都合の悪いことになると、
急に声が小さくなる人がいる。

あるいは、そこだけ早くなる。

あからさまというわけではないのだけど、
ああ、そこはそういう扱いするんだな、
という感じは伝わってくる。

聞こえなくはない。
逆にそこだけ妙に印象に残る。

こういうのを、姑息と言うのかどうかは、
正直よく分からないのだけど、
少なくとも、誠実ではない感じはある。

通販番組でも、似たような場面を見かける。

「なんと◯◯%オフの!商品価格、19,800円。19,800円!」
なんてね、
ここは、しっかり届く。
念押しでもう一度くる。

そのあとで、
「それに消費税と、お届け送料…」と続くのだけど、このあたりだけ、声のトーンも落ちて、語りも素早い。
送料の額も言わないで、
画面下に表示される小さな字のスーパーに表示されるのみ。

ちっちゃくね…💦

別に隠しているわけではないし、
ちゃんと言ってはいる。

ただ、同じ調子では扱いたくない、
という感じだけはわかる。

小さくすれば、
少しは違うものになる、というわけでもないと思うのだけど…
まあ、そういうふうにもなるのかもしれない。

日本の伝統芸能のなかには「黒子」というものがある。

黒い(あるいは灰色)衣装で舞台に立って、
役者を支える役割。

見えていないわけではない。
ただ、見えていないことにする、という前提で成り立っている。

あれは、そついうお約束だから成り立つのだ。

見えている側も、見せている側も、
分かったうえで、そうしている。

一方で、日常のあれはどうなのだろう。

少し声のトーンを落とせば、
少し早くすれば、
どこかへなくなっていく、というわけではないのにな、って…

むしろ、そこだけ他とは扱いが違う、
ということのほうが、かえって目立つ。

それでも、人はやる。

ちゃんと伝えたことにはしておきたいし、
でも、あまり正面から見せたくない。
そのあたりの加減が、
そのまま声に出ている。

姑息、と言い切ってしまえばそれまでなのだけど、そこまで強く言うほどのことでもない、という気もする。

ただ、見えているものは見えているし、
聞こえているものは、聞こえている。

そのうえで、
見えていないことにされている感じが、
どうしても、僕には気持ち悪く感じるんだなぁ…

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