今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます!

今日から5月か…
今年の3分の1が過ぎ去った。
言いたくもないけど、やっぱり痛感してしまう。そうしてこんな言葉が、つい…
時の流れはあっという間だな。
さて、
たまに僕のブログ、
どんな記事が読まれているのかなあなんて思って、アクセス解析を見てみることがある。
そして、
ふと目に止まった記事、
4年前に書いたものだったが、
自分で書いていたのに、内容全く思い出せなかったので、読んでみた。
こう言うと、かなり手前味噌になってしまうが、
なるほどなぁ、
と思ったので、
再掲してみようかと…
そんなことで、リバイバル記事。
『特急列車』
早く!早く!
とにかく「早く!」
とやりがちだ。
効率化して
時間短縮、
そしてより多く…
最初は誰かのこんな言葉を意識して始めた、
あるいはやらされたのだと思う。
しかし今や、
身体に染み付いてしまったのだろうか、
そんな言葉たちは頭にないのに、
自主的に急いでいる。
それも常に…
時に、他人にまでそういう観点を強いている自分にも気づく。
効率化して、対時間で多くをこなす。
これが良し!
っていつの間にか思い込んだようだ。
もともとせっかちな性格も相まって、
それが当たり前になった。
慌ただしさを、慌ただしいとも感じないくらい麻痺してしまっている。
一日が終わり、その慌ただしさから解放されたときには、
もぅぐったり疲れきっていたりする。😩
しかし、解放されたからといって、
ゆったりとした時間を楽しめるかというと…
そうでもない。
慌ただしさの延長を自ら望むかのように、
ご飯だ、風呂だ、明日の準備だ…と、
日常の流れをこなしていくだけ。
他にも諸々とやることがあったりして、
結局慌ただしいままで、
あ、もうこんな時間だ😓明日のために早く寝なくちゃ💦
なんて感じで、これまた最後に慌ただしく布団に入る。
そんな自分の日常を振り返ると、
「僕はこんなに何を焦っているのかな…」
って、理由もわからずただ慌ただしく生きている自分に悲しい気持ちにもなる。
時間にいつも追われていた。
僕を含めた多くの現代人はいつの日にか、
特急電車にしか乗らなくなった。
早く目的地に着くことが至上命題。
鈍行電車に乗るなど、選択肢にもない。
こんあこともあったなぁ。
ひと頃、
時間勝負でできうる限り多くの作業を行い、
当日出荷に間に合わせるというような、
作業内容は単純ではあるが、とにかく工程の一歯車的作業員として、
とある業務に従事していたことがある。
まさしく歯車の一つなのだから、僕一人が容易く離脱などできるわけもなく、
休憩すら全員で一斉に、それも分単位でとるようなそんな現場。
息つく暇もないというのは正にこの現場のようなことをいうのかとヘンに納得。
そんなのに、
もう疲れ切っちゃって…
ただ肉体を纏ったマシンじゃね?って…
僕である必要もないし、
使い捨て感覚で使われているような、
みじめさを感じ。。。
がんばれるだけがんばろうとはしてみたが、
ドロップアウトした。
時間に追われる生き方が嫌になる。
そんなふうに人は、
特急電車に乗り遅れることがある。
仕方なくホームに立ち、
周りを見回すと、
乗客もまばらな鈍行列車が停車している。
いままでは目にも入らない、
無関係な対象だった。
その列車に乗ってみると、
新しい発見の多さに驚く。
今までには気づかなかった、
いゃ見えてなかったのだろう情景が、
見えてきたりする。
特急列車と比較してみる。
特急列車はただでさえ速いにもかかわらず、
それでも速く終点に到着することばかりに意識が向いていた。
「いま」なんて関係ないんだ。時間軸の先(未来)にあるゴール、
そこに意識は向かう。
特急に乗っているのに不思議と時間を気にして、
焦っているのだ。
意識は、先へ先へ。
景色なんてビュンビュン飛ばされて行くのだから、
みようとも思わない。
それが、
鈍行列車ときたら、
前提が、一駅一駅停まるもの。
急がない人の乗り物。
忙しく過ごしていたときには、
焦りやイライラが常態だった、
心の余裕がない。
忙しいとは文字通り「心」を「亡くす」とあるように、
心が殺伐としてくるよね😓
そんな立ち位置から外れてみると、
時間に追われないだけで、喜びがある。
てか、時間を気にしないって幸せだなって思えた。
なにより「いま」の中に様々な情景を見つけることができる。
ぼんやりしているだけでも、楽しかったりする。
そして心が満たされて行く。
違いが歴然なんだよね。
忙しくしているくせに、密度の薄い経験、
時の流れもあっという間に過ぎ去る。
オマケに全然楽しくない。
いままで忙殺されてきた時間の中に、
どれほどの密度の濃い経験が詰まっていただろうかと思うと、
もったいないことをした気分になる。
でも、まぁ、
そんな世界を垣間見れたことは幸せなことなのかも知れない。
気が付かなければ、死ぬまで気づかない。
あるいは気づいたころには時遅し…
になっている可能性だってあるのだから。
まぁ、生き方もイロイロだし、
生活していくための現実もあるだろうから、
鈍行いいねぇ〜とばかりも言っていられないのもわかる😅
時に意識して、
遅い流れの時間を楽しむ機会を意識的に持ちたいものだ。
なんて…
そう思う。
と、、、
これを書いたのは4年前。
僕は今でもたまに、
ふと気づけば特急電車に乗っていることがある。
まぁ、それでもいいのかもしれないけど、
降り方は、まだ少しぎこちないままだ。
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今年の3分の1が過ぎ去った。
言いたくもないけど、やっぱり痛感してしまう。そうしてこんな言葉が、つい…
時の流れはあっという間だな。
さて、
たまに僕のブログ、
どんな記事が読まれているのかなあなんて思って、アクセス解析を見てみることがある。
そして、
ふと目に止まった記事、
4年前に書いたものだったが、
自分で書いていたのに、内容全く思い出せなかったので、読んでみた。
こう言うと、かなり手前味噌になってしまうが、
なるほどなぁ、
と思ったので、
再掲してみようかと…
そんなことで、リバイバル記事。
『特急列車』
早く!早く!
とにかく「早く!」
とやりがちだ。
効率化して
時間短縮、
そしてより多く…
最初は誰かのこんな言葉を意識して始めた、
あるいはやらされたのだと思う。
しかし今や、
身体に染み付いてしまったのだろうか、
そんな言葉たちは頭にないのに、
自主的に急いでいる。
それも常に…
時に、他人にまでそういう観点を強いている自分にも気づく。
効率化して、対時間で多くをこなす。
これが良し!
っていつの間にか思い込んだようだ。
もともとせっかちな性格も相まって、
それが当たり前になった。
慌ただしさを、慌ただしいとも感じないくらい麻痺してしまっている。
一日が終わり、その慌ただしさから解放されたときには、
もぅぐったり疲れきっていたりする。😩
しかし、解放されたからといって、
ゆったりとした時間を楽しめるかというと…
そうでもない。
慌ただしさの延長を自ら望むかのように、
ご飯だ、風呂だ、明日の準備だ…と、
日常の流れをこなしていくだけ。
他にも諸々とやることがあったりして、
結局慌ただしいままで、
あ、もうこんな時間だ😓明日のために早く寝なくちゃ💦
なんて感じで、これまた最後に慌ただしく布団に入る。
そんな自分の日常を振り返ると、
「僕はこんなに何を焦っているのかな…」
って、理由もわからずただ慌ただしく生きている自分に悲しい気持ちにもなる。
時間にいつも追われていた。
僕を含めた多くの現代人はいつの日にか、
特急電車にしか乗らなくなった。
早く目的地に着くことが至上命題。
鈍行電車に乗るなど、選択肢にもない。
こんあこともあったなぁ。
ひと頃、
時間勝負でできうる限り多くの作業を行い、
当日出荷に間に合わせるというような、
作業内容は単純ではあるが、とにかく工程の一歯車的作業員として、
とある業務に従事していたことがある。
まさしく歯車の一つなのだから、僕一人が容易く離脱などできるわけもなく、
休憩すら全員で一斉に、それも分単位でとるようなそんな現場。
息つく暇もないというのは正にこの現場のようなことをいうのかとヘンに納得。
そんなのに、
もう疲れ切っちゃって…
ただ肉体を纏ったマシンじゃね?って…
僕である必要もないし、
使い捨て感覚で使われているような、
みじめさを感じ。。。
がんばれるだけがんばろうとはしてみたが、
ドロップアウトした。
時間に追われる生き方が嫌になる。
そんなふうに人は、
特急電車に乗り遅れることがある。
仕方なくホームに立ち、
周りを見回すと、
乗客もまばらな鈍行列車が停車している。
いままでは目にも入らない、
無関係な対象だった。
その列車に乗ってみると、
新しい発見の多さに驚く。
今までには気づかなかった、
いゃ見えてなかったのだろう情景が、
見えてきたりする。
特急列車と比較してみる。
特急列車はただでさえ速いにもかかわらず、
それでも速く終点に到着することばかりに意識が向いていた。
「いま」なんて関係ないんだ。時間軸の先(未来)にあるゴール、
そこに意識は向かう。
特急に乗っているのに不思議と時間を気にして、
焦っているのだ。
意識は、先へ先へ。
景色なんてビュンビュン飛ばされて行くのだから、
みようとも思わない。
それが、
鈍行列車ときたら、
前提が、一駅一駅停まるもの。
急がない人の乗り物。
忙しく過ごしていたときには、
焦りやイライラが常態だった、
心の余裕がない。
忙しいとは文字通り「心」を「亡くす」とあるように、
心が殺伐としてくるよね😓
そんな立ち位置から外れてみると、
時間に追われないだけで、喜びがある。
てか、時間を気にしないって幸せだなって思えた。
なにより「いま」の中に様々な情景を見つけることができる。
ぼんやりしているだけでも、楽しかったりする。
そして心が満たされて行く。
違いが歴然なんだよね。
忙しくしているくせに、密度の薄い経験、
時の流れもあっという間に過ぎ去る。
オマケに全然楽しくない。
いままで忙殺されてきた時間の中に、
どれほどの密度の濃い経験が詰まっていただろうかと思うと、
もったいないことをした気分になる。
でも、まぁ、
そんな世界を垣間見れたことは幸せなことなのかも知れない。
気が付かなければ、死ぬまで気づかない。
あるいは気づいたころには時遅し…
になっている可能性だってあるのだから。
まぁ、生き方もイロイロだし、
生活していくための現実もあるだろうから、
鈍行いいねぇ〜とばかりも言っていられないのもわかる😅
時に意識して、
遅い流れの時間を楽しむ機会を意識的に持ちたいものだ。
なんて…
そう思う。
と、、、
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僕は今でもたまに、
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