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さっき、ふと思い出した。
そういえば、あれも7月だったな…と。

幼なじみの良太が、22歳でバイク事故により亡くなった日のことを。

同い年だった僕も、今ではあの頃の倍以上の年齢になった。良太が生きた年月よりも、僕はずっと長く生きている。

そんなことを考えていたら、あの日の出来事が、まるで昨日のことのようによみがえってきた。

良太とは、同じ敷地内で育った仲だ。

しかし、小学校を卒業した頃に引っ越してしまい、それからは20kmほど離れて暮らすようになった。

それまでのように遊ぶことはなくなったけれど、お互いの母親同士は連絡を取り合っていたので、彼の近況は時折、母から聞いていた。

彼の家は決して裕福ではなかったそうだ。

専門学校へ進学するときも、親に負担をかけたくないと新聞奨学生になり、働きながら学校へ通い、無事に卒業したという。

しかも、二人の妹さんの進学も控えていたことから、自分のことで家族に迷惑をかけまいという思いが、人一倍強かったそう。

就職してからも、派手な遊びをするような人ではなかったらしい。

コツコツとお金を貯め、ようやく手に入れたのが、ホンダのCBR250R ハリケーン。

彼の憧れの一台だった。

お母様によると、良太は本当に嬉しそうだったという。

あの日も、7月だった。
ちょうど今頃の季節だったように思う。

家の電話が鳴り、母が受話器を取った。
しばらく話していたかと思うと、突然、母が声を詰まらせ、泣き始めた。

「どうしたの?」

電話を切った母に尋ねると、涙を流しながらこう言った。

「良ちゃん…亡くなっちゃったんだって…」

一瞬、意味が分からなかった。

22歳。
あまりにも早すぎる別れだった。

後日、既に四十九日の法要を終え、お骨になった良太のもとへ、母と一緒に焼香に伺った。

お線香をあげたあと、お母様は生前の良太のことをあれこれ話してくれた。

新聞奨学生として頑張っていたこと。
家族に負担をかけまいと、一生懸命働いていたこと。
そして、ようやく手に入れたCBR250R ハリケーンのこと。

話をしている間、お母様は何度も、何度も、同じ言葉を口にされた。

「本当に、いい子だったの。」

「本当に、いい子だったの。」

その言葉だけは、今でもはっきり覚えている。

こんな言い方はよくないのかもしれないけれど、
帰り道は、どっと疲れが押し寄せてきた。

何を話しながら帰ったのかは、ほとんど覚えていない。

しばらく沈黙が続いたあと、母がぽつりと言った。

「私はね、子どもたちは、いい子じゃなくても、生きていてくれればそれでいいな…」

その言葉が、とても印象に残った。

後になって知った。

英語には「Only the Good Die Young.」という言い回しがあることを。

「善人ほど若くして逝く。」

良太のことを思い出すたび、その言葉が頭をよぎる。

でも、僕の中に残っているのは、その言葉ではない。

あの日、帰り道で母がぽつりと言った一言だ。

「私はね、子どもたちは、いい子じゃなくても、生きていてくれればそれでいいな…」

あれから35年以上が過ぎた。

それでも7月になると、良太のことと一緒に、その言葉も思い出す。


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