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僕はラジオのテレホン人生相談を、けっこう楽しみにしてよく聴いている。
60代の母親からの相談だった。
娘と、もうまともに話ができなくなってしまったという。
話を聴いていると、終始、自分の言い分が途切れない。
間を埋めるように、言葉が次々と出てくる。
「大事に大事に育てた娘なのに」
「どうしてこんな扱いを受けなければならないのか」
「結婚相手が悪い」
「娘を変えてしまった」
「相手の親も許せない」
とか、だいたいそんな調子。
娘からはLINEもブロックされて、
もう連絡の取りようもないらしい。
聴きながら、僕は何度も口に出しかけていた。
いや、たぶん何度かは実際に出ていたと思う。
「ああ…それ、アンタが悪いんじゃ…」と。
誰かを責める言葉は、やたら滑らかに出てくる。
それはたぶん、長い時間をかけて、自分の中で作り上げてきた筋書きなのだろう。
でも、その筋書きの中には、
“自分がどうだったか”
という話は、ほとんど出てこない。
関係がこじれるとき、
相手だけが一方的に変わる、なんてことは、あまりない気がする。
なのでどちらかが完全に善い悪い、という話でもなくて、
たぶん、もっと曖昧で、もっと触れたくないところに原因があるのかもしれない。
それを直視するのが、おそらくしんどいのだろう。
だから、わかりやすい悪役を置くのだ。
結婚相手とか、その親とか。
そうすると、物語は急に理解しやすくなる。
自分は被害者で、
相手がすべてを壊したことになるから。
でも、その物語を繰り返している限り、
たぶん、娘との距離は埋まらない。
というか、埋める気があるのかどうかすら…
実際のところ怪しく見えてしまう。
ここまで聴いていて、
僕は少しだけ、先の場面を勝手に想像してしまった。
もしこの母親が、
同じ調子で言葉を重ねていったとしたら。
娘は、何も言わなくなるかもしれない。
あるいは、表面だけ合わせて、
本音はどこか別の場所に置いていくのかもしれない。
そしてその様子を見て、また母親は、
「どうしてわかってくれないのか」と繰り返す。
そんなふうに、少しずつ、
距離が遠ざかっていくような気もした。
なんてことを、
外から眺めているみたいに思っている。
客観視って、
ものごとの有様がよく見える、らしい。
ただ、それが自分のことになると、途端にぼやける。
こうやって、誰かの関係を眺めながら、
「たぶんこうなる」とか「ここが原因だ」とか、
わかったような気でいるけれど。
じゃあ、自分のことはどうなのだろう?
と考えると、
途端に、よくわからなくなる。
同じようなことを、
僕もどこかでやっていないか。
気づいていないだけで、
誰かとの距離を、勝手に決めてしまってはいないか。
そんなふうに思い始めると、
さっきまでの“わかっている感じ”が、けっこう怪しくなってくる。
「大事に育てた」という言葉も、
どこかで、関係を縛るものに変わってしまうことがある。
大事にしたはずなのに、
その“はず”が、相手には重たく感じられていたりする。
そういうことは、わりとある。
ラジオの向こうで、回答者が静かに問い返していた。
「あなたは、娘さんを許していますか?」と。
その問いに、ちゃんと答えていたかどうかは、
覚えていないが…
「あなたは誰も許す気がないんです。」
「関係は変わらないでしょうね。」
ズバリ、そう返されていたっけ。
ただ、あのやり取りを聴いていて思ったのは、
人は、自分の声でいっぱいになっているとき、
相手の声を聞く余裕がなくなる、ということだった。
関係が壊れる時って、
案外、静かにそうなるのだと思う。
言葉が減る前に、
もう少し手前で、
なにかが擦り切れている。
たぶん、そこに気づけるかどうかで、
だいぶ違うのだろうけど。
気づけるタイミングって、
だいたい、過ぎてからなんだよなぁ。
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