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ゴルゴ松本の「命の授業」。

なにかのメディアで取り上げられていたっけ。
少年院でのボランティア活動が15年目になったとか。

あれ、僕は嫌いだ。

こう書くと、少し乱暴に見えるかもしれない。
実際、周りでは「いい話だった」と受け止めている人がほとんどだし、
否定的なことを言う空気でもない。

だから、自分のこの感覚のほうが、
どこかズレているのではないか…
と思う瞬間もある。

だけど。

どうしても引っかかるものがある。

内容が間違っているとか、
不快だとか、そういう単純な話でもない。

ただ、うまくできすぎている。

最初から結論が決まっていて、
そこに向かって言葉が配置されていく感じ。

漢字から意味を見つけているというより、
意味に合わせて漢字を並べているように、僕には見えてしまう。

それを「発見」という形で見せられると、
どこかで距離を取りたくなる。

それに加えて、
「いい話ですよね」という空気も一緒に流れてくる。

ここで納得するのが自然で、
ここで心を動かすのが正しい、
そんなシナリオが最初から書かれているような感じ。

その流れに、どうしても乗りきれない。

むしろ、乗せようとしてくる力のほうが気になってしまう。

さらに言えば、
テレビで流れる映像の作り方も、少し気になる。

少年院にいる子たちが、
熱心に話を聞いていたり、
一生懸命メモを取っていたりする姿が切り取られる。

それ自体を否定したいわけではないのだけど、
その映し方によって、
「これは更生に役立っている」という空気が、
静かに出来ていく感じがある。

その空気ごと受け取ることを、
どこかで求められているようにも見える。

言い訳じみてくるのかもしれないけれど、
この違和感そのものは、無かったことにしなくていい気もしている。

世の中のほとんどが好意的に受け止めていたとしても、
そこから外れた見方が、必ずしも間違いだとは思えない。

結局のところ、どう感じるかは自分の内側で起きていることで、
そこだけは、自分の中でそのまま置いておきたい。

「いい話」として流れていく中で、
そこに疑問を差し挟む余地すらないように見えた。
だからこそ、あえて、
僕は「嫌いだ」と言っておきたかった。

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