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なんか世の中変じゃない?
いや、変じゃないのかもしれないのだけど。
京都のあの忌まわしい事件があって、
そのあと、日本各地で遺体発見ラッシュ、
みたいな流れになっている気がして。
不謹慎だとは思うのだけど、
そういう言葉が浮かんでしまう。
まぁ、こういうのって、
あとから意味づけしてしまうものなのかもしれないし、
たまたまが重なっているだけなのかもしれない。
でも、なんとなく落ち着かない感じだけが残る。
ついでに、という言い方もどうかと思うけれど、
最近またテレビについて、「なんかヘン…」って少し引っかかることがあった。
テレビを観ていると、
「この人、なんでここにいるんだろうな」
と感じる瞬間がある。
情報番組を見ていた。
京都で小学生男児が行方不明、
そして養父による死体遺棄事件へ、
というどこの局でもいまもちきりなニュース。
番組自体もかなり気を遣っているように見えるし、
不確かな情報を軽々しく流すような空気でもない、
そこはちゃんとしているのだと思う。
なのに、その周りで語られている言葉に、
どこか引っかかってしまう自分がいる。
芸人だとか、文化人だとか。
立場としてはいわゆる「解説者」ではない人たちが、それでも何かを語らなければいけない立場に置かれているのだろう。
そして、その語り口が、
なんとなく「識者」、
もっと言うと「識者気取り」っぽく僕には見えてしまう。
もちろん、庶民目線の疑問とか、
素人なりの感想とか、
そういうものが視聴者の共感を呼ぶ、というのはわかる。
わかるのだけど。
「ここは、お前の出番じゃないだろ…」
まぁ、こんな言い方もどうかとは思うけれど、
そんな言葉が頭の中に浮かんでしまう。
真相究明が求められているような状況で、
お前らの推理なんかいらねーんだよ、と、
どこかで思ってしまう自分もいる。
たぶん僕が感じている違和感は、
情報の正確さではなくて、
もともと用意された“役割”が、
淡々と回っている感じのほうなのだと思う。
慎重に扱われている話題の中で、
誰かが「何かを言う役」を担う。
その結果として、語りがそれっぽく整っていく。
無理に断定しているわけでもないし、
間違ったことを言っているとも限らない。
ただ、出来事との距離と、語りの立ち位置が、
なんとなく、しっくりきていないように見える。
そのズレに、僕は引っかかっているのかもしれない。
それに加えて、もうひとつ。
コメンテーターが持論を述べて、
それに対して別のコメンテーターが反応して、
さらに誰かがまとめるように話す。
その流れ自体が、
ひとつのシナリオありきのような感じで回っている。
でも、ふと一歩引いて見てしまうと、
「これ、僕はいま何を見せられているんだろうな」と、
妙な感覚になる。
出来事についての話のはずなのに、
いつの間にか“意見についての意見”を眺めているような感じ。
それが悪いとまでは言わないのだけど、
少なくとも、少し奇妙ではある。
さっきも、同じような情報番組を見ていたら、
医師兼タレントだとか、女優だとか、
そういう人たちが、それぞれの立場で話をしていた。
その光景自体が、
悪いというわけではないのだけど、
やはりどこか引っかかるものがあった。
そしてもうひとつ。
僕らは、こういう光景に、
ずいぶん慣らされてしまっているのだと思う。
本来なら、「なんでこの人が?」と
首を捻ってもよさそうな場面でも、
「まぁテレビだしな」と受け流してしまう。
違和感が、違和感のまま、
なかったことのように流れていく。
それって、けっこう気持ちが悪い。
ただ、全部を否定したいわけでもなくて。
庶民的な視点が入ることで、
出来事が遠い話になりすぎない、
そんな側面も、たぶんあるのだと思う。
そういう立場を担わされているだけ、
それがコメンテーターというものなのかもしれない。
だからこそ厄介で、
要るとも要らないとも言い切れない。
役割だったとしても、
それをそのまま手放しで受け入れられる、
そんな自分ではないんだろうな、とも思う。
…まぁ、こんなことを考えながら、
今日もテレビをつけてしまっているのだけど。
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なんか世の中変じゃない?
いや、変じゃないのかもしれないのだけど。
京都のあの忌まわしい事件があって、
そのあと、日本各地で遺体発見ラッシュ、
みたいな流れになっている気がして。
不謹慎だとは思うのだけど、
そういう言葉が浮かんでしまう。
まぁ、こういうのって、
あとから意味づけしてしまうものなのかもしれないし、
たまたまが重なっているだけなのかもしれない。
でも、なんとなく落ち着かない感じだけが残る。
ついでに、という言い方もどうかと思うけれど、
最近またテレビについて、「なんかヘン…」って少し引っかかることがあった。
テレビを観ていると、
「この人、なんでここにいるんだろうな」
と感じる瞬間がある。
情報番組を見ていた。
京都で小学生男児が行方不明、
そして養父による死体遺棄事件へ、
というどこの局でもいまもちきりなニュース。
番組自体もかなり気を遣っているように見えるし、
不確かな情報を軽々しく流すような空気でもない、
そこはちゃんとしているのだと思う。
なのに、その周りで語られている言葉に、
どこか引っかかってしまう自分がいる。
芸人だとか、文化人だとか。
立場としてはいわゆる「解説者」ではない人たちが、それでも何かを語らなければいけない立場に置かれているのだろう。
そして、その語り口が、
なんとなく「識者」、
もっと言うと「識者気取り」っぽく僕には見えてしまう。
もちろん、庶民目線の疑問とか、
素人なりの感想とか、
そういうものが視聴者の共感を呼ぶ、というのはわかる。
わかるのだけど。
「ここは、お前の出番じゃないだろ…」
まぁ、こんな言い方もどうかとは思うけれど、
そんな言葉が頭の中に浮かんでしまう。
真相究明が求められているような状況で、
お前らの推理なんかいらねーんだよ、と、
どこかで思ってしまう自分もいる。
たぶん僕が感じている違和感は、
情報の正確さではなくて、
もともと用意された“役割”が、
淡々と回っている感じのほうなのだと思う。
慎重に扱われている話題の中で、
誰かが「何かを言う役」を担う。
その結果として、語りがそれっぽく整っていく。
無理に断定しているわけでもないし、
間違ったことを言っているとも限らない。
ただ、出来事との距離と、語りの立ち位置が、
なんとなく、しっくりきていないように見える。
そのズレに、僕は引っかかっているのかもしれない。
それに加えて、もうひとつ。
コメンテーターが持論を述べて、
それに対して別のコメンテーターが反応して、
さらに誰かがまとめるように話す。
その流れ自体が、
ひとつのシナリオありきのような感じで回っている。
でも、ふと一歩引いて見てしまうと、
「これ、僕はいま何を見せられているんだろうな」と、
妙な感覚になる。
出来事についての話のはずなのに、
いつの間にか“意見についての意見”を眺めているような感じ。
それが悪いとまでは言わないのだけど、
少なくとも、少し奇妙ではある。
さっきも、同じような情報番組を見ていたら、
医師兼タレントだとか、女優だとか、
そういう人たちが、それぞれの立場で話をしていた。
その光景自体が、
悪いというわけではないのだけど、
やはりどこか引っかかるものがあった。
そしてもうひとつ。
僕らは、こういう光景に、
ずいぶん慣らされてしまっているのだと思う。
本来なら、「なんでこの人が?」と
首を捻ってもよさそうな場面でも、
「まぁテレビだしな」と受け流してしまう。
違和感が、違和感のまま、
なかったことのように流れていく。
それって、けっこう気持ちが悪い。
ただ、全部を否定したいわけでもなくて。
庶民的な視点が入ることで、
出来事が遠い話になりすぎない、
そんな側面も、たぶんあるのだと思う。
そういう立場を担わされているだけ、
それがコメンテーターというものなのかもしれない。
だからこそ厄介で、
要るとも要らないとも言い切れない。
役割だったとしても、
それをそのまま手放しで受け入れられる、
そんな自分ではないんだろうな、とも思う。
…まぁ、こんなことを考えながら、
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