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まだうちの子供たちが、幼稚園とか保育園に通っていた頃のこと、
ふと思い出したのだけど。
確か先生方から、
こんな話を聞いた記憶がある。
「親の役割…」
「親の役割」なんて前置きした先生の話なものだから、
まぁ、僕はそれなりに気負って臨んでいた。
さぞ、子育て論だとか教育論だとか、
そういう“それっぽい話”が始まるのかと思いきや、
親御さんの役割は、
第一に、お子さんたちの“命を守ること”です。
って、
そう言われた。
当時の僕は、
なるほど、と素直に受け止めたような、
いや、実際にはどこか拍子抜けしたような、
そんな曖昧な感覚だった覚えがある。
でも今でも、
納得を伴った形で、
その言葉が、どこかに残っている。
いま連日、
京都で行方不明になっている小学生男児のニュースが流れている。
ワイドショーなどでは、
元警察関係者だったり、
専門家と呼ばれる人たちが、
防犯の観点だとか、
行動パターンだとか、
事件性の有無、
いろいろと解説しているのだけど。
それを見ながら、
なんとなく思ってしまう。
「命を守る」というのは、
こんなにも、後出しで語れるものだったのか、と。
ああすればよかった、
こうしていれば防げたかもしれない。
そういう言葉は、
いくらでも並べられる。
でも、
それが必要とされる瞬間って、
たぶん、もう取り返しがつかなくなりかけているときで。
じゃあ、
日常の中でそれをどうやって守るのか、
という話になると、
急に輪郭がぼやける。
目を離さないことなのか、
危険を教え込むことなのか、
行動を制限することなのか。
どれも正しそうだし、
複合的な要素もありそうだし、
結局、答えらしい答えは見えてこない。
良き親になろうだなんて、意気込んだところで、
できることなんて、たかがしれているのかもしれないし、
子どもだって個性ってものがあり、
それぞれ千差万別で、理屈じゃ回らないことのほうが多い。
それぞれ千差万別で、理屈じゃ回らないことのほうが多い。
そうなると、
子どもの命を守ることができていれば、
親としてやれることの大きな部分は、
それで果たせていた、ということになるのかもしれない。
現在でも、僕はまだ親の立場ではあるのだけど、
成人するまでの子供たちとの時間を振り返ると、
親として、
できることなんて、
思っていたより多くはなかったのかもしれない。
それでも、
「無事に帰ってくること」だけは、
当たり前であってほしいと思ってしまう。
ただ、その当たり前が、
思っているよりも、ずっと頼りないものだということを、
こういうニュースのたびに思い知らされる。
守るって、
結局、何をどうすることなんだろうな、と。
いまだに、
うまく言葉にできないままなのだけど。
たぶん、
その答えがはっきりしないままなのが、
「守る」ということの現実なのだと思う。
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