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前からずっと、ニュースの言い回しに引っかかっている。

最近あらためて気になったのは、
「〜のようなもの」という表現だ。

「刃物のようなもの」
「バールのようなもの」

理屈はわかる。
確定していない以上、断定はできない。
それは当然だと思う。

ただ、それを聞くたびに、少しだけ気持ちが引っかかる。

切りつけられたと聞けば、
もうほとんど刃物だと思っているし、
視聴している側は、そこまで曖昧に受け取ってはいない。

なのに、言葉だけが妙に慎重で、
その慎重さが、少し浮いているように感じる。

そして、これはそれだけの話でもない。

少し前に見た火事のニュースでも、
似たような引っかかりがあった。

そういえばそのときのことは、
このブログでも一度触れているのだけど、
「性別不明の遺体が見つかった」
「住人の誰々さんの行方がわかっていない」


そんな言い回しにも、やはり同じような違和感が残っていた。

事実としては正しいのだろうし、
むしろ正確に伝えているとも言える。

だけど、
どこかで同じ空気を感じてしまう。

まだわからないこと、を、
そのまま差し出してくる感じ。

それ自体は誠実なはずなのに、
なんでか、少しだけ距離があるように感じる。

たぶん僕は、
「わからない」という情報そのものではなくて、
その出し方に引っかかっているのだと思う。

もっと言うと、
こういう細かい言い回しにいちいち引っかかってしまう自分のほうが、
少し面倒なのかも…

そこまで気にしなくてもいいじゃないか、
と言われれば、

たしかにそうなのかとも思う。

ニュースはニュースとして受け取っておけばいいのだし、
いちいち言葉尻に反応しても、何かが変わるわけでもない。

それでも、どうしてか気になってしまう。

たぶんこれは、
内容そのものよりも、
「どう伝えられているか」のほうに目がいってしまう、
ちょっとした、僕の癖みたいなものなのかもしれない。

慎重さと遠慮と自己保身が、
言葉の中に混ざっている感じがして、
そこにだけ、どうしても目が止まってしまう。

まぁ、こういうところに引っかかる時点で、
自分のほうもだいぶ偏っているのだろうけど。

間違えないようにすることと、
伝えることは、同じではない。

慎重であることと、
伝わることも、少し違う。

「〜のようなもの」も、
「行方がわからない」も、
どちらも正しい言葉なのだけど、

その正しさが並んでいくと、
だんだんと、
触れられたくない現実、
そういう扱いに変わっていくようにも見えてしまう。

何も断定されていないのに、
状況だけは伝わってくる。

でも、どこまで信じていいのかは、
人それぞれに、曖昧なまま残る。

それが積み重なっていく感じに、
僕は少しだけ違和感を覚えている。

間違えないための言葉が増えていくほど、
触れているはずの現実から、少しずつ離れていく。

正しさを守るための距離が、
結果として、伝わりにくさを生んでいるのだとしたら、
それは本当に、正しい在り方なのだろうか。

そんなことを、
「〜のようなもの」という言葉を聞くたびに、
ぼんやりと考えてしまう。

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