今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます!

これぞ、ザ・年度末って感じの日々を過ごしてます。
今日を含めて残り二日、
目が回るほど忙しいです。
家に帰るとぐったり。
椅子に座ってしまうと、さらにどっと疲れが…
そこからもう何もできないくらいに。
出てくる言葉は
「はぁ〜疲れた〜」
ってね。
で…
なんとなく、
テレビをつけて、
なんとなくニュースを眺めていると、
必ずと言っていいほど出会う、火事絡みのニュース、
ふと思えば、同じような言い回しに出会うことがある。
住宅が焼けて、
焼け跡から性別不明の遺体が見つかりました。
住人のAさんとBさんと連絡が取れていないとのこと。
というあの言い方。
あれで僕は、
いつも少し引っかかる。
「連絡が取れていない」という言い回しで、
たぶん言いたいことは、なんとなく伝わってくる。
でも、言い切らない。
まぁむしろ、言い切れないというのが本当のところなのだろう。
その距離の取り方が、妙に回りくどく聞こえてしまう。
事情があるのはわかるのだけど…
身元の特定ができていないのだろうし、
軽々しく断定もできないのだろう。
ただ、それでも、
言っているようで言っていない感じ、
だけが残る。
少しだけ、匂わせにも似ていて、
でもそんな意図ではないのもわかるから、
余計に言葉の置きどころが曖昧に見える。
まぁ、それはそれとして。
そもそも、火事のニュースって、
山火事や、大規模延焼等は別として、
個別の火事を報道すること自体、
どれくらい必要なのだろうか?
とも思う。
きっと実際には、火災は日常的に起きているのだろうし、
報道されているのは、そのうちのほんの一部なのだと思う。
たまたま映像があるからと言うだけの話かもしれないし、
それでも選ばれているはずなのに、
その理由が、いまひとつ見えてこないことがある。
原因がわからないまま、
ただ「火事がありました」とだけ伝えられて、
遺体が見つかって、連絡が取れていない人がいる、で終わる。
それを聞いたあとに、
自分の中で何かが更新されるわけでもない。
気をつけよう、と思えるほど具体的な話でもないし、どこか遠くの出来事として、すぐに流れていく。
たぶん、ニュースには
「今日こういうことが起きた」
という記録の側面もあるのだろうけど、
それだけだと、だからなに?という感じもしないでもない。
映像としてはわかりやすいのだと思う。
煙や炎や、焼けた建物。
出来事としての強さは、たしかにある。
でも、それだけで選ばれているのだとしたら、
それはそれで、少し寂しい気もする。
本当は、
どうして起きたのか、とか、
どうすれば防げたのか、とか、
そこまで届いて、ようやく意味が出てくる話のはずなのに。
途中で切られたまま、
「起きました」
だけが置かれている感じ。
だから、あのニュースを見たあと、
何かを知ったというより、
ただ見ただけ、みたいな感触が残ってしまうのだ。
それが積み重なり、
今では、違和感になっていくのかもしれない。
あの言い回しの引っかかりも、
火事そのものの扱われ方も、
どちらも同じところにある気がする。
言い切らないことと、
伝えきらないこと。
そのあいだにある、微妙な空白。
まぁ、だからといって、
どういう形が正しいのかは、よくわからないのだけど。
ただ、なんとなく、
あのニュースを見るたびに、
少しだけ、言葉の置き方について考えてしまう。
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家に帰るとぐったり。
椅子に座ってしまうと、さらにどっと疲れが…
そこからもう何もできないくらいに。
出てくる言葉は
「はぁ〜疲れた〜」
ってね。
で…
なんとなく、
テレビをつけて、
なんとなくニュースを眺めていると、
必ずと言っていいほど出会う、火事絡みのニュース、
ふと思えば、同じような言い回しに出会うことがある。
住宅が焼けて、
焼け跡から性別不明の遺体が見つかりました。
住人のAさんとBさんと連絡が取れていないとのこと。
というあの言い方。
あれで僕は、
いつも少し引っかかる。
「連絡が取れていない」という言い回しで、
たぶん言いたいことは、なんとなく伝わってくる。
でも、言い切らない。
まぁむしろ、言い切れないというのが本当のところなのだろう。
その距離の取り方が、妙に回りくどく聞こえてしまう。
事情があるのはわかるのだけど…
身元の特定ができていないのだろうし、
軽々しく断定もできないのだろう。
ただ、それでも、
言っているようで言っていない感じ、
だけが残る。
少しだけ、匂わせにも似ていて、
でもそんな意図ではないのもわかるから、
余計に言葉の置きどころが曖昧に見える。
まぁ、それはそれとして。
そもそも、火事のニュースって、
山火事や、大規模延焼等は別として、
個別の火事を報道すること自体、
どれくらい必要なのだろうか?
とも思う。
きっと実際には、火災は日常的に起きているのだろうし、
報道されているのは、そのうちのほんの一部なのだと思う。
たまたま映像があるからと言うだけの話かもしれないし、
それでも選ばれているはずなのに、
その理由が、いまひとつ見えてこないことがある。
原因がわからないまま、
ただ「火事がありました」とだけ伝えられて、
遺体が見つかって、連絡が取れていない人がいる、で終わる。
それを聞いたあとに、
自分の中で何かが更新されるわけでもない。
気をつけよう、と思えるほど具体的な話でもないし、どこか遠くの出来事として、すぐに流れていく。
たぶん、ニュースには
「今日こういうことが起きた」
という記録の側面もあるのだろうけど、
それだけだと、だからなに?という感じもしないでもない。
映像としてはわかりやすいのだと思う。
煙や炎や、焼けた建物。
出来事としての強さは、たしかにある。
でも、それだけで選ばれているのだとしたら、
それはそれで、少し寂しい気もする。
本当は、
どうして起きたのか、とか、
どうすれば防げたのか、とか、
そこまで届いて、ようやく意味が出てくる話のはずなのに。
途中で切られたまま、
「起きました」
だけが置かれている感じ。
だから、あのニュースを見たあと、
何かを知ったというより、
ただ見ただけ、みたいな感触が残ってしまうのだ。
それが積み重なり、
今では、違和感になっていくのかもしれない。
あの言い回しの引っかかりも、
火事そのものの扱われ方も、
どちらも同じところにある気がする。
言い切らないことと、
伝えきらないこと。
そのあいだにある、微妙な空白。
まぁ、だからといって、
どういう形が正しいのかは、よくわからないのだけど。
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