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人生のハンドリング、なんて言葉を、ふと思い浮かべた。
自分なりに、ちゃんとやっているつもりだった。
道を選んで、間違えないようにして、
なるべく納得のいく方向に進もうとしていた。
まぁ、要するに、
ハンドルを握っているつもりでいたわけだ。
でも、ふとしたときに思う。
これ、本当に自分で操作しているのだろうか?🤔
もしかしたら、
オートコントロールの車に乗っているのに、
ハンドルを回している“つもり”になっているだけなんじゃないか。
動きは変わっていないのに、
自分は操作している、と信じているだけ。
そう考えると、
今までのあれこれも、
ちょっと怪しく見えてくる。
頑張って決めたつもりの選択も、
迷いに迷った末の結論も、
実はもう決まっていた流れに乗っていただけで、
僕はただ、それに納得するための操作をしていただけなのかもしれない。
ならば、
今やっているこの操作も、
意味なんてないんじゃないか、
なんて思ってしまう。
ただ、ここで全部投げるのも、
どこか違う気もする。
完全にオートなのかと言われると、
それもまた、しっくりこない。
乗る車を選んだのは自分なのかもしれないし、
どこで降りるかも、
多少は自由度がある気もする。
少なくとも、
ずっと力を入れてハンドルを握り続けている必要は、
ないのかもしれない。
むしろ、握りすぎているだけなのかもな、
と思うことがある。
離してもいいところで、
ずっと握っている。
で、疲れている。
なんというか、
「操作しているかどうか」よりも、
「どこで力を入れているか」のほうが、
大事なのかもしれない。
だったら、
気楽に行こう、でいいはずだし、
ただ何事も楽しんでいればいい、
という話になる。
のだけど、
そこまできれいに割り切れるほど、
人は単純でもないらしく…
抵抗すること自体が無意味だと、
心底わかってしまえば、
たぶん、もっと違う動き方になるのだと思う。
ただ、
そこまで腑に落ちているわけでもない。
だから結局、
気楽に行こうと言いながら、
どこかでハンドルを握っている。
戯言だよ、戯言。
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