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物事の良し悪しって、
その場で判断できるものだと思っていた。

これは良かった、これはダメだった、って。
その都度、区切りをつけて、
なんとなく納得した気になってしまう。

でも、こんな話がある。

砦に住む老人の馬が逃げた。
気の毒だと周りが言うと、老人は、
これがどう転ぶかはわからない、とだけ言った。

しばらくして、その馬が戻ってきた。
しかも、別の立派な馬を連れて。

周りは一転して喜んだけれど、
老人はやっぱり、
これがどうなるかはわからない、と言う。

その立派な馬に乗った息子が、
落馬して足を折った。

今度はまた、不運だと言われる。
それでも老人は、
これもまだ途中だと言わんばかりに受け止めている。

やがて戦が始まり、
若い者たちが次々と駆り出されていく中で、
足を悪くした息子は、
その場に残ることになった。

いわゆる「塞翁が馬」っていう話だ。

こうして並べてみると、
どこを切り取るかで、
話はいくらでも変わってしまう。

逃げたときは不運に見えて、
戻ってきたときは幸運に見えて、
そこからまた、不運に転じて、
最後には、別の形で救われている。

ただ、
そのどれもが「途中」の出来事で、
そこだけを見て決めた評価は、
あとから簡単にひっくり返ってしまう。

僕らもたぶん、
似たようなことをしている。


いま起きたことに、
その場で意味を与えて、
良かったとか、ダメだったとか言っている。


じつは、
今の僕、ある出来事に、
ちょっと憂いているのだけど…

でも、それはまだ、

物語の途中を切り取っているだけなのかもしれない。

先のことなんてわからないし、
結末がどうなるかも見えない。

それでも、
人はその都度、判断してしまう。

まぁ、それ自体は仕方がないのだけど。

ただ、
いまつけているその評価が、
あとでどう変わるかもしれない、
という前提だけは、
どこかに置いておく、
それくらいでちょうどいいのかもしれない。

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