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昨日の衆議院議員選挙では、
自民党が大勝ちした。
結果だけを見れば、
そう言うしかないのだろう。
文句のつけようがない圧倒的な数字。
ただ、
その数字を眺めているだけでは、
どこか実感が伴わない、
というのも正直なところだった。
けれど、
大物政治家が軒並み落選しているのを見て、
ああ、やっぱり、
史上まれに見ることが起きているのだな、
と、少しだけ腑に落ちる。
当然だけど、
大勝ちの裏側には、
大きく負けた人たちがいる。
その人たちの会見で、
決まったように聞こえてくるのが、
「私の不徳のいたすところで…」
という言葉だ。
この一言が出た瞬間、
空気が収まる、というより、
もうこれ以上、言葉の入り込む余地がなくなる感じがする。
謝罪というより、
防御に近い、
そんな印象を受けてしまうのは僕だけだろうか…
「すべて自分が悪い」と言われてしまうと、
じゃあ、どこがどうだったのか、
と問うこと自体が少し野暮になる。
不徳、という言葉は、
本来なら、
かなり重たい。
人格に踏み込むほどの
強い表現のはずなのだけど、
何が不徳だったのかは、
結局、分からないままだったりする。
政策なのか、姿勢なのか、
耳を傾けなかったことなのか。
そこは、霧の中に入ってしまう。
深く頭を下げる姿と、
この決まり文句が揃うと、
批判は、行き場を失う。
これ以上の言葉は、
相手の傷に 塩を塗るようなもの、
武士の情け…とでも言うものだろうか。
大物が落ち、
勢力図が大きく動いた、
そんな選挙のあとだからこそ、
なおさらにこの言葉の役割が目につくのかもしれない。
本当に起きている変化は、
もっと具体的で、
もっと複雑なはずだ。
けれど、
「不徳のいたすところ」という鉄壁の一言で、
話はそこで止まってしまう。
すごいことが起きた、
という感覚だけが残り、
その中身は、ほぼ語られない。
そんな後味も含めて、
今回の選挙は、
やはり、特別だったのだろうな、
と、僕は思っている。
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昨日の衆議院議員選挙では、
自民党が大勝ちした。
結果だけを見れば、
そう言うしかないのだろう。
文句のつけようがない圧倒的な数字。
ただ、
その数字を眺めているだけでは、
どこか実感が伴わない、
というのも正直なところだった。
けれど、
大物政治家が軒並み落選しているのを見て、
ああ、やっぱり、
史上まれに見ることが起きているのだな、
と、少しだけ腑に落ちる。
当然だけど、
大勝ちの裏側には、
大きく負けた人たちがいる。
その人たちの会見で、
決まったように聞こえてくるのが、
「私の不徳のいたすところで…」
という言葉だ。
この一言が出た瞬間、
空気が収まる、というより、
もうこれ以上、言葉の入り込む余地がなくなる感じがする。
謝罪というより、
防御に近い、
そんな印象を受けてしまうのは僕だけだろうか…
「すべて自分が悪い」と言われてしまうと、
じゃあ、どこがどうだったのか、
と問うこと自体が少し野暮になる。
不徳、という言葉は、
本来なら、
かなり重たい。
人格に踏み込むほどの
強い表現のはずなのだけど、
何が不徳だったのかは、
結局、分からないままだったりする。
政策なのか、姿勢なのか、
耳を傾けなかったことなのか。
そこは、霧の中に入ってしまう。
深く頭を下げる姿と、
この決まり文句が揃うと、
批判は、行き場を失う。
これ以上の言葉は、
相手の傷に 塩を塗るようなもの、
武士の情け…とでも言うものだろうか。
大物が落ち、
勢力図が大きく動いた、
そんな選挙のあとだからこそ、
なおさらにこの言葉の役割が目につくのかもしれない。
本当に起きている変化は、
もっと具体的で、
もっと複雑なはずだ。
けれど、
「不徳のいたすところ」という鉄壁の一言で、
話はそこで止まってしまう。
すごいことが起きた、
という感覚だけが残り、
その中身は、ほぼ語られない。
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やはり、特別だったのだろうな、
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