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人と人とのやり取りは、だいたいいつも曖昧なものだ。

言葉は足りなかったり、沈黙は長すぎたりする。
その隙間をどう受け取るかで、こちらの気分も簡単に揺れてしまう。

以前、外国人が日本に来て感じたこととして、
「日本人はテレパシーで意思疎通をしているのではないかと思う場面がある」
という、そんな話を聞いたことがある。

僕らが当たり前だと思っている「あうんの呼吸」や、
「場の空気を読む」という感覚。
次はこうなるだろう、相手はこう返すだろう、
そんな予測を前提に、言葉を省きながら動いている。

便利ではあるけれど、同時にまたそれが曖昧でもある。
共有できていると思っているのは、
実は自分の中だけ、
ということも少なくない。

結局、何が真実かは分からない。
事実はいつも、こちらの想像より少しずれた場所にあったりするもので…

それでも人は、分からない状態に耐えきれず、
「こういうことなのじゃないの?」
と、自分なりの答えを置いてしまう。
裏付けはなくても、その時期においては、それがその人なりの真実になる。

疑心暗鬼というのは、
たいていそうやってむくむくと大きくなっていく。
相手の沈黙や、些細な違和感に意味を与え、
自分の中だけで話が完成していく。

あとから振り返れば、取り越し苦労だったと思うことも多い。
相手は何も考えていなかったり、
こちらの想像とは別の事情を抱えていただけだったりする。

それでも、その時の自分にとっては切実だった。
だから最近は、真実かどうかを急いで決めないように心がけている。
「そう思ってしまった」という事実だけを、いったん受け止める。

分からないものを、分からないままにしておく。
それも一つの、疑心暗鬼との距離の取り方なのだと思う。

今日は、
別に取り立てるエピソードもなかったのだけど、
なんとなくこんなことを語ってみたくなっただけ。

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