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「世界が平和になりますように…」
そんなふうに願ったことって、誰にでも一度はあると思う。
でも、そう願っているということは、
少なくとも「自分にとっての世界」は、どこか不安定に見えているのかもしれない。
言い換えれば、心のどこかでは「平和じゃない」と感じている、ということでもあるわけで。
そう考えると、
あぁ、やっぱり世界は平和じゃないんだろうな…
なんて思ってしまう。
でもそう口にしたら、
「今まさにロシアとウクライナが戦争してるじゃないか!」
と、決まり文句みたいな反応が返ってくるのだろう。
確かに、
社会のどこかで何か出来事が起きれば、
すぐさま世界中に知らせが届く時代だ。
けれど僕らのほとんどは、
その戦争を自分の目で見て体感しているわけじゃない。
ニュースを見て、
「あぁ、戦争が起きてるのか」と理解しているだけで、
実感としては、どこか遠い。
言い方がヘンに聞こえるかもしれないけれど、
体感していない以上、僕らの「現実」は、
情報を信じた分だけ形づくられている。
裏を返せば、
その情報を知らないままでいたら、
僕らの世界はもっと平和に見えていたんじゃないか?
とすら思えてくる。
ここが、なんともややこしいところで。
「知ってしまった」
だけで、世界って案外あっさり形を変えるものなのだ、と思う。
だけで、世界って案外あっさり形を変えるものなのだ、と思う。
たとえば、どこか遠い国で争いが起きているらしい…
そう聞いた瞬間から、その出来事は、僕の頭の片隅にはりつく。
本来なら、穏やかに過ぎていくはずだった一日が、
どこか色味を変える、みたいな感じで。
そうやって、情報がひょいと割り込んでくるだけで、
僕の中に、ほんの少しの不和が生まれる。
きっとこれが、「情報が不和を作る」ってやつなのだろう。
でもさ。
もし僕が、その情報をそもそも知らなかったらどうだろう?
朝のコーヒーは普通においしくて、
公園で遊ぶ子どもたちの笑い声はただの風景で、
そのまま今日も平和でした、
で終わってたんじゃないか?
って、
で終わってたんじゃないか?
って、
そう思うと、
「知らぬが仏」って、なんだかいやに現実的なフレーズだなぁと感じる。
あれは、ただの言い回しじゃない。
人間の認識なんて、結局、知ったかどうか、で決まるんだな、と。
もちろん、知らなかったら守られる平和もあるし、
知ったからこそ動ける場面だってあるわけで。
そこは一概にどっちがいいとは言えないのだけど、
それでも時々、ふと思ってしまう。
何も知らないままでいたら、
もっと気楽でいられたのかもしれないな、って。
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