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言い方ひとつで、世界はずいぶん変わって見えるもの。

ニュースを眺めていると、どうにも胸のあたりがざわつくことがある。
最近で言えば、高市首相の存立危機発言に対する中国の反応だ。

オールドメディアは、相変わらずの視点で語りたがる。
「挑発した」「怒らせた」
そんな論調だ。
まるで、日本側の一言が引き金になって、中国が仕方なく強い反応をせざるを得なかった…みたいな説明になっている。

でも、あれって本当にそうなのだろうか。
僕には、そうは思えない。

中国が強めの言葉を返すかどうかなんて、中国の都合で決めているだけだ。
高市首相が誰かを怒らせようとして発言しているわけじゃないし、そもそも「怒る・怒らない」は相手の選択だ。
そこを「原因と結果」みたいに語ってしまうから、話がややこしくなる。

こちらが冷静に話していても、相手が勝手に温度を上げることだってある。
外交に限らず、人間関係だってそうだ。
感情で動けば、負けだ。
まずは落ち着いて、深呼吸して、淡々と。
結局それがいちばん強い。

ふと思い出したのが、昔の国語の授業だ。
「能動的」「受動的」みたいな分類を習ったあの時間。
当時は文法の話にしか思わなかったけれど、今になってみると、あれが結構いろいろなことの縮図みたいにも思えてくる。

誰を主体に置くのか。
どこに原因を置くのか。
言い方ひとつ変えるだけで、世界の見え方はぜんぜん違う。

「怒らせた」と言えば、こちらが原因となるし、
「勝手に反応している」と言えば、
向こうが選んだ、となる。
どちらも事実に触れてはいるけれど、印象はまるで別物だ。

結局のところ、物事って、
どう語られるか、
で半分決まってしまう。
だからこそ、言葉の枠組みに敏感でいることは、思っている以上に大事なのかもしれない。

こういうことを考えてしまうのは、
まぁ、僕のいつもの癖みたいなものだろうか。

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