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人は同じ場所にいて、同じ空気を吸っていても、同じ経験をしているとは限らない。
いや、同じ経験をするなどと言う事はありえないのだと思う。
同じ現実を前にしても、
見ているものも違うだろうし、
聞く音も違う、
きっと嗅いでいる匂いや、
口にする同じ料理の味も違うのだろう。
最近あったエピソード。
ある時のこと、
「なにかあったのかな?」
と妻に言われたのだけど、
「は?」「なんのこと?」と返すしかなかった僕。
「これょ」と上を指さす妻に、
天井を見上げようとした時にようやく気づく。
ヘリコプターの飛行音、
「バタバタバタバタ…」というあの音がようやく僕の耳に入ってきた。
「おぅ」
不思議だ。
こんなに大きな音を立てていたのに、考え事でもしていたせいだろうか、
それまで僕には全く聞こえなかった。
妻は気づいていたのに、僕は気づかない。
同じ部屋にいて、同じ時間を過ごしていたのに、僕らはまったく違う世界を生きていた。
これは単なる聴覚の差ということもあり得ないわけではないかもしれない。が…
でも同時に、もっと根っこのところで…
人は誰もが、自分の感覚に閉じ込められて生きているのだと思う。
「同じ体験を共有しているはず」という思い込みは、実はけっこう危うい事実なのかもしれない、と思った。
妻には聞こえ、僕には聞こえなかった。
その体験の違いのなかに、
人と人とがすれ違う理由の一端があるのかもしれないとも思った。
たとえ夫婦であっても、
見えているもの、聞こえているもの、感じているものは重なりきらない。
それでも、
「これょ」と指さされ、はじめて同じ音を共有できた瞬間があって、
そこで体験の全てではないが、ほんの少しだけ重なる。そのわずかさに意味があるのだと思う。
違う世界を生きていながら、同じ場所に身を置いている。
その矛盾のなかで、僕らは関係を築いている。
完全には届かないからこそ、手を伸ばす。
それが、人と人とが共に生きるという、
不思議な現実なのかもしれない。
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人は同じ場所にいて、同じ空気を吸っていても、同じ経験をしているとは限らない。
いや、同じ経験をするなどと言う事はありえないのだと思う。
同じ現実を前にしても、
見ているものも違うだろうし、
聞く音も違う、
きっと嗅いでいる匂いや、
口にする同じ料理の味も違うのだろう。
最近あったエピソード。
ある時のこと、
「なにかあったのかな?」
と妻に言われたのだけど、
「は?」「なんのこと?」と返すしかなかった僕。
「これょ」と上を指さす妻に、
天井を見上げようとした時にようやく気づく。
ヘリコプターの飛行音、
「バタバタバタバタ…」というあの音がようやく僕の耳に入ってきた。
「おぅ」
不思議だ。
こんなに大きな音を立てていたのに、考え事でもしていたせいだろうか、
それまで僕には全く聞こえなかった。
妻は気づいていたのに、僕は気づかない。
同じ部屋にいて、同じ時間を過ごしていたのに、僕らはまったく違う世界を生きていた。
これは単なる聴覚の差ということもあり得ないわけではないかもしれない。が…
でも同時に、もっと根っこのところで…
人は誰もが、自分の感覚に閉じ込められて生きているのだと思う。
「同じ体験を共有しているはず」という思い込みは、実はけっこう危うい事実なのかもしれない、と思った。
妻には聞こえ、僕には聞こえなかった。
その体験の違いのなかに、
人と人とがすれ違う理由の一端があるのかもしれないとも思った。
たとえ夫婦であっても、
見えているもの、聞こえているもの、感じているものは重なりきらない。
それでも、
「これょ」と指さされ、はじめて同じ音を共有できた瞬間があって、
そこで体験の全てではないが、ほんの少しだけ重なる。そのわずかさに意味があるのだと思う。
違う世界を生きていながら、同じ場所に身を置いている。
その矛盾のなかで、僕らは関係を築いている。
完全には届かないからこそ、手を伸ばす。
それが、人と人とが共に生きるという、
不思議な現実なのかもしれない。
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