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昨日は、疲れもあって、
酔った勢いで、すぐに寝てしまった。
そして、若干酒が残った状態で5時台に目覚めてしまった。
二度寝できない僕は、
年取ったせいかなぁ…
若い頃は、大げさ言ったら、
際限なく寝られたのに、
って、いつまでも、寝られた時代を懐かしむ。

そんな僕の立ち位置は、
「今ここ」にはいない。

そんなことから、
自分の「立ち位置」について考えてみたい。

今更「天動説」を信じる人もいないのだろうが、自分中心の世界から見れば、そう見えるのも不思議ではない。
自分の視座は固定していて、
周りが動いているのだ、と考えれば、
その人の経験の中では、確かにそう言える。

僕は最近、
当たり前の日常の中で、ハッとしたことがある。

ただ、道を歩いていたのだ。
普段は意識するでもなく、
自分自体が前に進んでいると思っている。
それが当たり前すぎて、
「僕は前進している」などと、認識すらしていない。

でもあるときの僕は、
あれぇ?これって…
世界が後退しているのか?🤔
と。

自分が道を左に曲がれば、
他方では世界が右に90°回転する。

ゲーム世界のダンジョンを進むときのような、
自分の位置は常に固定されていて動かない。
そのかわり周りの世界が動いている。

視座固定かつ、自分中心の経験的宇宙。
これを意識してみると、この視点はなかなかに面白い。

こんな視点も気になる、

コップにはまだ半分も水が入っている。
コップにはもう水が半分しか残っていない。
どちらも同じこと、なのだけど、
時に僕はその「同じこと」が、同じじゃないように思えてしまう。

つまり、目に入ってくるのは現実として一つなのだけど、
そこに「どういう気分で立っているか」で、見え方が全然違ってくる。

年を取ったから二度寝できないのかもしれない。
でも逆に言えば、年を取ったからこそ、
「世界が僕に付き従って動いている」なんて妄想に遊べる余裕ができたのかもしれない。

そう考えると、立ち位置は固定じゃなくて、
案外ふらふらしているものだなぁと思う。
自分が動いているのか、
世界が動いているのか。
コップの水が「まだある」のか「もうない」のか。

どっちにしても、選んでいるのは僕自身。
それなら、まぁ、好きに眺めていけばいいのだろう。

どうせ僕の世界なのだから…

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