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忘れていた痛みが、
たった一言で蘇るなんてことがある。

僕には五十肩でそんな経験がある。
当時は仕事にも支障が出るほど辛かった。
けれど、プライベートが猛烈に忙しくなった時期、
その痛みのことなんて、すっかり頭から消えていた。
いや、あの時の僕の現実には、
「五十肩」の「五」の字も存在しなかったのかもしれない。

ところが。

同僚からの何気ない一言。
「そういえば、ひでぴんさん。最近、五十肩はどうですか?」

その瞬間、肩に電撃のような激痛が走った。
それは、まるで封印が解かれたみたいに。

もちろん、同僚に悪気なんてあるはずもない。
むしろ心配してくれていたのだろう。
けれど僕の内心は、
「んだよ〜、その一言で痛みが復活しちゃったじゃないかよ😓」
と、文句たらたら。

その日を境に、再び五十肩生活へ逆戻りだった。

自分の現実なんて、
忘れていれば消え、思い出せば復活する。
その柔らかさと厄介さを、身をもって知った出来事だ。

そう考えると、
連想して、
エゴというものも、あの同僚の一言みたいに、
ありがたいようで、ありがた迷惑な存在なのかもしれない。

宝くじでも買ってみようかな…
なんて少しワクワクした気分になった途端に、
「どうせ当たらないよ、金の無駄!」
と、すかさず横やりを入れてくる。

その度に、気を削がれる僕だ。

でも考えてみれば、
五十肩を「思い出させた一言」と、
「どうせ無理」と突っ込んでくるエゴは、
同じ種類の声なのだろう。

つまり、
僕の内側にいる“ありがた迷惑な同僚”が、
現実を勝手に仕切っているわけだ。

本当は、
宝くじが当たるかどうかより、
「買ってみようかな」と心が動いた時点で、
もう十分に現実を彩っていたのに。

エゴの一言でしぼむのも僕、
無視して楽しむのも僕。

ならば、
次はエゴの声を聞き流して、
ちょっと遊び心を優先してみてもいいかもしれない。

そして、いま、
妻の実家関係でバタバタしていて忙しい。

不幸ごとが原因だから、
決して善いことではない。
けれど、そういう時には不思議と、
エゴの声も痛みも姿を消す。

思えば、現実はいつも、
僕の意識が向いた先で
かたちを変えていた。

ならば、
何を思い出し、何を手放すか。
その選び方ひとつで、
僕の世界はやわらかくも、かたくもなる。

そんなことを、
しみじみと感じている。

結局、エゴとも上手に遊んでやるくらいの余裕が、僕には必要なのかもしれない。

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