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昔は、潜在意識の世界や霊的なことなんて、
あまりオープンに話せるものではなかった。
そういうものはたいていは「オカルト」としてジャンル分けされ、興味を持った人は、人目を避けてこっそり探求するしかなかった。
でも今は違う。
世の中に情報があふれ、特にYouTubeを開けば興味深い動画が山のようにある。
自然と目にする機会も増え、それに伴って世間の認知度も上がってきたのだと思う。
かつて、「悟りたい」なんて口にしようものなら、
「何を言ってんだ、変なやつだな」
「怪しい宗教にでもかぶれたのか」
といった反応を返されるのが普通だった。
僕自身、昔からそうした世界に関心があり、本を読んだり、セミナーやワークショップに通ったりもした。
けれど、残念ながらいまだに「悟り」に触れた実感などは得られていない。
それにしても、悟りを求める人は多いのだなと感じる。
YouTubeでは悟ったと称する人が自らの体験談を語り、「ある本がとても参考になりました」と紹介するや、その本が瞬く間に品薄になる。
絶版本なら、値段はとんでもない高騰を見せる。一冊が5万円、6万円なんてザラだ。
もちろん、欲しければ手に入れるのもいい。
けれど、その本を読んだからといって誰もが悟れるわけではない。
なぜそんなことを言い切れるかといえば、僕自身がそれを実証済みだからだ。
理解不能でちんぷんかんぷんのものもあれば、
「この本で悟ったという人は一体どんな視点で読んだのだろうか?」と考え込んでしまうこともある。
結局は、読む人のレベルも観点もそれぞれで、重きを置くところも人によって違うのだ。
以前、ある記事でこんな話を書いたことがある。
ある人が、泥沼にはまって困っている豚を助けた。
するとその人は、のちに思いがけない幸運に恵まれ、億万長者になり、幸せな人生を送った。
すると誰かが言い出す。
「豚を助ければ幸せになれる」って。
そこから「豚を助ける宗教」が生まれた。
人々はこぞって豚を助けようとし、困っていない豚まで、わざわざ泥沼に突き落としてから救い出す。
そのうちに教義でブタを崇め、『お豚様』などと呼ぶようになる…
傍から見れば、なんとも奇妙で滑稽なカルト集団にしか映らない。
世の中には、そうしたものをあっさり信じてしまう人も、一定数いるのだと思う。
そして僕は、ときどきその現実に首をひねる。
結局のところ、『悟り』も『救い』も、誰かの真似や本一冊で手に入るものではないし、
自分自身で歩むしかない道である。
また、ギフトのように一瞬でそんな境地になれる例もあっていい、と僕は思っている。
悟りの方法論に固執してしまうと大きく脱線してしまう可能性もあるので、その点は注意が必要なのだ。
その点を意識しておかないと…
そして、最後に思う。
ブタを崇め続けて人生を終える。
そんな生き方、あなたはどう思うだろうか?
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昔は、潜在意識の世界や霊的なことなんて、
あまりオープンに話せるものではなかった。
そういうものはたいていは「オカルト」としてジャンル分けされ、興味を持った人は、人目を避けてこっそり探求するしかなかった。
でも今は違う。
世の中に情報があふれ、特にYouTubeを開けば興味深い動画が山のようにある。
自然と目にする機会も増え、それに伴って世間の認知度も上がってきたのだと思う。
かつて、「悟りたい」なんて口にしようものなら、
「何を言ってんだ、変なやつだな」
「怪しい宗教にでもかぶれたのか」
といった反応を返されるのが普通だった。
僕自身、昔からそうした世界に関心があり、本を読んだり、セミナーやワークショップに通ったりもした。
けれど、残念ながらいまだに「悟り」に触れた実感などは得られていない。
それにしても、悟りを求める人は多いのだなと感じる。
YouTubeでは悟ったと称する人が自らの体験談を語り、「ある本がとても参考になりました」と紹介するや、その本が瞬く間に品薄になる。
絶版本なら、値段はとんでもない高騰を見せる。一冊が5万円、6万円なんてザラだ。
もちろん、欲しければ手に入れるのもいい。
けれど、その本を読んだからといって誰もが悟れるわけではない。
なぜそんなことを言い切れるかといえば、僕自身がそれを実証済みだからだ。
理解不能でちんぷんかんぷんのものもあれば、
「この本で悟ったという人は一体どんな視点で読んだのだろうか?」と考え込んでしまうこともある。
結局は、読む人のレベルも観点もそれぞれで、重きを置くところも人によって違うのだ。
以前、ある記事でこんな話を書いたことがある。
ある人が、泥沼にはまって困っている豚を助けた。
するとその人は、のちに思いがけない幸運に恵まれ、億万長者になり、幸せな人生を送った。
すると誰かが言い出す。
「豚を助ければ幸せになれる」って。
そこから「豚を助ける宗教」が生まれた。
人々はこぞって豚を助けようとし、困っていない豚まで、わざわざ泥沼に突き落としてから救い出す。
そのうちに教義でブタを崇め、『お豚様』などと呼ぶようになる…
傍から見れば、なんとも奇妙で滑稽なカルト集団にしか映らない。
世の中には、そうしたものをあっさり信じてしまう人も、一定数いるのだと思う。
そして僕は、ときどきその現実に首をひねる。
結局のところ、『悟り』も『救い』も、誰かの真似や本一冊で手に入るものではないし、
自分自身で歩むしかない道である。
また、ギフトのように一瞬でそんな境地になれる例もあっていい、と僕は思っている。
悟りの方法論に固執してしまうと大きく脱線してしまう可能性もあるので、その点は注意が必要なのだ。
その点を意識しておかないと…
そして、最後に思う。
ブタを崇め続けて人生を終える。
そんな生き方、あなたはどう思うだろうか?
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