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以前から、
ずっと不思議に思っていたことがある。
でも、調べてもいない。
知らないからといって別に困るわけでもないからだ。

僕はあまり使わない方だけど、
「素敵」
ってわりと耳にする言葉じゃない?

「素」はなんとなくわかるんだ。
「ありのまま」とか「飾らない」といったポジティブな意味を持つのに、
僕の感覚では「敵」には「対立するもの」として、ネガティブに捉えられることのほうが多いかと思う。

なんでこの組み合わせ?
そして、素晴らしいの意味合いとして、
「いじらない」「そのまま」の意味の「素」でいいのか?
これが僕の疑問だ。

調べてみると、
江戸時代の末頃から使用され始めたとされ、
そもそもが「すてき」という“音”があって、
その当て字で「素敵」が当てはめられたという説。
初期は「すばらしい」「すごい」「見事な」といったニュアンスで使われていたようだ、と。

もう一つは、
「敵(かな)う」から来たというもの。
「敵」は「かなう(敵う)」と読むこともあり、そこから派生して、
「素(すばらしさ)に敵うもの」=「とてもすばらしいもの」という意味で、
「素敵」という漢字が当てられたという説もあるのだそう。

つまり、「素敵」というのは、
「素(本質的に、飾らず)に」
「敵(かなう)ものがない」
→ 「本質的にかなうものがないほど良い」
という意味なのだ。

手を加えに加えて豪華絢爛に見せたり、
もの事に脚色をつけたりするが、
ゴテゴテしている感じは逆に野暮ったく見えたりする。

そんなことを考えていたら、
ミニマリズムの世界観にふれたときの感覚を思い出した。
あの、シンプルさの中に潜む凛とした美しさに、心が打たれた経験。
あれもきっと、「素」にこそ力が宿る、
という感覚だったのだろう。

あの美しさは、まさに「引き算の美学」とでもいうものだったか…
削ぎ落とされたものの中に、核心が静かに佇んでいた。

足していくことから、引いていくこと。
それは、素敵を見つけるための方策になるのではないか?

ついつい、何かを加えることで良く見せたくなるけれど、
引くことによってこそ、見えてくるものもある。
本質とか、人間味とか、嘘のない魅力とか。

たぶん、体裁ばかり気にしてると、
「素敵」からはちょっと遠ざかるんじゃないかな、
なんて思う。

人の生き様でもそう。
飾らず、ただ泥臭く生きているやつを見て、
素直に「素敵な生き方だ」って思うことがある。

喜怒哀楽を頑なに隠すような人って、
やっぱり見てくれを気にして、
自分を恥じている。
それって、ちょっともったいない。

弱さや未完成さを抱えたまま、
それでも堂々と生きてるやつが、
一番「素敵」なんじゃないかと、
そんなふうに思う。

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