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僕が嫌いなもの。
こんな書き出しの記事、
どう?
◯◯が好き!も、
◯◯が嫌い!も、
所詮他人のことだ、
そんなの、どうでもいい。
と思う時もあるし、
なんとなく気になって読み進めてみようかな…と思う時もある。
まぁ、またどうでもいい前置きをたらたらと綴ってしまったが。
ずっと言葉にせずいたけれど、
最近ようやく、
“あぁ、これが僕は本当に嫌いなんだ”
と腹の底から思ったものがある。
それは、
おそらくジブリ作品の中でも「名作」の部類に入るのだろう『火垂るの墓』だ。
例年、終戦記念日を前にしたこの時期になると目にしがちだったりする。
これまで何度も観たことがある。
そして、
観ながら、目を潤ませたことも、
何度もある。
しかし、思いを起こすに、
「この作品を見てよかった…」
と思ったことが一度もない。
思えば、『火垂るの墓』には、
「こんなに辛く苦しかった時代があったんだから、今がどれだけ幸せか分かるだろう」
というメッセージが込められているように感じる。
たしかに、あの物語の中の現実は悲惨で、
理不尽で、そしてあまりにも憐れだ。
観ていると自然と胸が締めつけられる。
でも、じゃあ、あれと比べて「今は幸せだ」と言い切ってしまっていいのか?
そんな思いも出てくる。
僕はそこに、なんとも言えない違和感を得てしまうのだ。
たしかに、空襲もないし、食糧難もない。
飴玉ひとつを大事に舐めるような世界でもない。
でも、そのかわりに、
「ちゃんと生きていれば幸せでしょ?」
という圧のようなものが、
じわじわと人を追い詰める、
そんなふうにも感じてしまう。
比べてわかる幸せって、
本当に“いまの自分”の実感なのだろうか。
誰かの悲惨な過去と、いまの自分を並べて、
「おまえは幸せなほうだ」と言い聞かせるようなそれが、どこか目くらましのように思えてしまうのだ。
そもそも「幸せ」って、
他人との比較のなかにあるものなのかな。
あの作品を観て涙する自分の心を、
僕は嫌いではないけれど、
涙したあとに、
「よし、これで“ありがたみ”を噛みしめられたぞ」と思うことは一度もなかった。
いま僕たちが戦争のない時代を生きていられること、それ自体は確かに、平和の恩恵なのだろう、と思う。
そして、その尊さを伝えようとする作品の意図も、きっと理解はできる。
単純に、僕の捉え方が偏っていたり、また浅いだけなのかもしれないが…
でも、「あの不幸と比べれば幸せでしょ?」と押しつけられるような感覚に、どうしても引っかかってしまうのだ。
誰かの絶望を踏み台にして、今の幸せを測ることに、僕はどうしても抵抗がある。
だから、嫌いなんだと思う。
ここまで書いてきて、
ふと思ったのは、
必死にまた健気に生きた兄妹が、
悲惨に人生を終えていく、
そんな悲しすぎる結末を知っているだけに、
僕はそんな結末を見たくなくて、
「嫌い」と言って遠ざけているだけなのかもしれない。
本当の核心ってこれかな…
おおかたの人には、
僕が嫌いなもの、
嫌いな理由など、
どうでもいいこと。
そもそも、好き嫌いを語る作品でもないのかもしれない。
ただね、
何かの機会にちょっと言ってみたかっただけ。
そんな記事だと思ってもらえばいい。
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僕が嫌いなもの。
こんな書き出しの記事、
どう?
◯◯が好き!も、
◯◯が嫌い!も、
所詮他人のことだ、
そんなの、どうでもいい。
と思う時もあるし、
なんとなく気になって読み進めてみようかな…と思う時もある。
まぁ、またどうでもいい前置きをたらたらと綴ってしまったが。
ずっと言葉にせずいたけれど、
最近ようやく、
“あぁ、これが僕は本当に嫌いなんだ”
と腹の底から思ったものがある。
それは、
おそらくジブリ作品の中でも「名作」の部類に入るのだろう『火垂るの墓』だ。
例年、終戦記念日を前にしたこの時期になると目にしがちだったりする。
これまで何度も観たことがある。
そして、
観ながら、目を潤ませたことも、
何度もある。
しかし、思いを起こすに、
「この作品を見てよかった…」
と思ったことが一度もない。
思えば、『火垂るの墓』には、
「こんなに辛く苦しかった時代があったんだから、今がどれだけ幸せか分かるだろう」
というメッセージが込められているように感じる。
たしかに、あの物語の中の現実は悲惨で、
理不尽で、そしてあまりにも憐れだ。
観ていると自然と胸が締めつけられる。
でも、じゃあ、あれと比べて「今は幸せだ」と言い切ってしまっていいのか?
そんな思いも出てくる。
僕はそこに、なんとも言えない違和感を得てしまうのだ。
たしかに、空襲もないし、食糧難もない。
飴玉ひとつを大事に舐めるような世界でもない。
でも、そのかわりに、
「ちゃんと生きていれば幸せでしょ?」
という圧のようなものが、
じわじわと人を追い詰める、
そんなふうにも感じてしまう。
比べてわかる幸せって、
本当に“いまの自分”の実感なのだろうか。
誰かの悲惨な過去と、いまの自分を並べて、
「おまえは幸せなほうだ」と言い聞かせるようなそれが、どこか目くらましのように思えてしまうのだ。
そもそも「幸せ」って、
他人との比較のなかにあるものなのかな。
あの作品を観て涙する自分の心を、
僕は嫌いではないけれど、
涙したあとに、
「よし、これで“ありがたみ”を噛みしめられたぞ」と思うことは一度もなかった。
いま僕たちが戦争のない時代を生きていられること、それ自体は確かに、平和の恩恵なのだろう、と思う。
そして、その尊さを伝えようとする作品の意図も、きっと理解はできる。
単純に、僕の捉え方が偏っていたり、また浅いだけなのかもしれないが…
でも、「あの不幸と比べれば幸せでしょ?」と押しつけられるような感覚に、どうしても引っかかってしまうのだ。
誰かの絶望を踏み台にして、今の幸せを測ることに、僕はどうしても抵抗がある。
だから、嫌いなんだと思う。
ここまで書いてきて、
ふと思ったのは、
必死にまた健気に生きた兄妹が、
悲惨に人生を終えていく、
そんな悲しすぎる結末を知っているだけに、
僕はそんな結末を見たくなくて、
「嫌い」と言って遠ざけているだけなのかもしれない。
本当の核心ってこれかな…
おおかたの人には、
僕が嫌いなもの、
嫌いな理由など、
どうでもいいこと。
そもそも、好き嫌いを語る作品でもないのかもしれない。
ただね、
何かの機会にちょっと言ってみたかっただけ。
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