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僕の本質は、
おそらく、
この肉体そのものではない。

では、いったい何が僕の本質なのだろう?

おそらく、それは「意識」なのだと思う。

この肉体、つまり生物学的な側面では、
僕の性別は男だ。
それについては、明確に、そして自信をもって言える。

けれども、僕の本質たる「意識」は、
男なのだろうか? それとも、女なのだろうか?
と、問い直した瞬間、

「えっ…」
と、言葉に詰まる。

たとえば、「男らしさ」ってなんだろう?
声が低いとか、筋肉があるとか、涙を見せないとか?
まぁ、そういうのを世間では「らしさ」って呼ぶのかもしれない。
でもそれって、多くは外側の話だ。

肉体とか、振る舞いとか、育ち方とか、
そういう部分。

僕が何かに心を動かされるとき、
そこに「男の意識」が働いているといえるのか?と考えると、
やっぱり「うーん…」となる。

嬉しいとか、悲しいとか、悔しいとか、
そういう感情に、性別って関係あるのだろうか?
たとえば、「愛おしい」と感じる瞬間、
それが「男としての愛おしさ」なのか、
「女ならではの愛おしさ」なのか。
そんなふうにわけることが、そもそも可能なのか?

んー、、、たぶん違う。

意識の奥のほうには、
男でも女でもない何かがある。
ただそこにある「気配」みたいなものが、
受け取って、反応して、考えている。

本質って、そういうところにある気がする。

だとしたら。
男か女かで人を語ることに、どれほどの意味があるのだろうか?とも思う。
その人の性別で、すべてが決まるわけじゃないし、むしろ本質は輪郭のない意識なのではないかとすら思える。

そう考えると、
僕が「男である」ということも、
たしかに一部ではあるけれど、
決してすべてじゃない。

本質には、たぶん男女という概念自体がない。
だからこそ、そこにこだわりすぎるのは、
あまり意味がないのかもしれない。

こんなことを言うと、
今流行の論調に迎合しているのではないか?と思われるかもしれないが、
近年、議論が加熱しているLGBTやジェンダーフリー、多様性などといったテーマとは、まったく違う観点だと僕は思っている。

誰かと関わる時、
その人の本質と関わっていると思えば、
だいぶ、これからの人付き合いの感覚が変わってくるのではないかと思っている。

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