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今日は、6月第3日曜日、
父の日なんだね。
あまり気にもしていなかったが、
テレビをつければ「父の日、父の日」と言っているので、気づかないわけもない。
そういえば、
妻が子ども達にこっそり頼まれたようで、
妻経由で「何か欲しいものないの?」という、
それとなくの父の日ギフトリクエストの下調査があったのは先月のこと。
とくに欲しいものもなかったが、
その時の氣分で、
なにか適当に言った覚えはあるが、さて、
何をリクエストしたかは覚えていない。
今日は遅番勤務なので帰宅するのは夜遅く、
なにか用意してくれているのだろうか?
なんて思ってみたり…
さて、、、
そんな日曜日。
日曜日といえば、
僕には、
子供の頃、結構印象深かった、
日曜日朝にやっていた、
キリスト教系の「心のともしび」という番組があった。
「暗いと不平を言うよりも、すすんで灯りをつけましょう」という語りで始まるもの。
懐かしい。
番組の内容は何一つ覚えていないが、
このフレーズだけがいまだに頭にこびりついている。
確かにそうなんだよな、
あかりつけたらいいじゃん、
それで問題解決でしょ?
って思うのだけど、
現実はそんなに単純ではなかったりもする。
「暗い!」って不平を言う奴が多数いる状況、
ならば、すぐにでも明るくしたいのかといえば、
その中の一定割合の人々は、
実際のところ、真に解決を望んでいるわけではなく、
自分の鬱憤を晴らすために、
ただ文句を言いたいだけだったりする
まさしく“烏合の衆”だ。
よしそれなら俺が!
なーんて、
進んであかりをつけちゃうと、
「いい格好しぃめ😤」だとか、
「スタンドプレイしちゃってよ😒」
だとか言われたりすることもある。
さらにこんなパターンだってある。
じつは、最初からちゃんと明かりをつけるべき人間がいて、
ヒーロー登場!とばかりに、
つけるタイミングを見計らっていたりする…
つまりが自作自演みたいなものの場合もあり、
そういうシナリオを知らなかったり、
あるいは空気を読まずに、
あかりをつけちゃうと、
良かれと思ってやったことが
冷ややかな目で見られたり、
非難の対象になったりする。
「オメェーじゃねーんだよ💢」
ってね😓
余計なことしやがって…とまで、
言われる始末。
そんなことで臆病になったりもする。
善意の行動が、歓迎されないことがあるのにはそんな理由もるのだろう。
また、すすんであかりを一度でもつけたら、
以降、永劫に「あかりつけ係」
に意に沿わないまま、なったりする。
そんなこともあったりするから、
暗いままで、
だれもあかりを灯せずに、
「誰かあかりつけねーかなぁ😒」
って暗闇に不安を持ちながらも、
その状況に甘んじている。
救世主の登場を待つのはまさしくこれと同じこと。
暗闇が解消されない理由はいろいろあるものだ。
組織の暗黙のルールとか、
予定調和に基づいた円滑な人間関係とかさ…
いろいろ思考をこねくりまわさないと、
うまく立ち回れない世の中だったりする。
不満だけど、
その現状に甘んじてしまう。
そこには諦めがあったり、
臭いものには蓋…だったり、
見て見ぬふりをする、
そんな人が世の中にはいっぱいいるよね。
そんな時に、
組織に関係ねぇ奴が、
「俺には無関係だもんねー」とばかりに、
空気読まずにズバズバ言ってくるんだ。
それもそんなやつに大枚はたいて、
意見を聞くんだ。
そいつは、
経営コンサルタントだったり、
何とかアドバイザーだったり。
そいつらが言う事は、
意外と、
誰もが口には出さないけれど、
心の中で思っていたりすることなんだよね。
でもって、
なんとかコンサルタントの言うことが採用されて、灯りがつく。
一番の問題は、
しがらみや忖度だったことに気づく。
誰かが言い出せば、
やってしまえば、
金かけずに打開できたものを…😒
なんて、思ったところで後の祭り。
ばかだね…
そんなふうに思ったことがあったんだ。
昔だけど。
となるとだね、
誰がなんと言おうとも、
「暗いの嫌だから、オレが灯りつけちゃう!」
って奴が、やっちゃったらやっちゃったで、
意外にうまくいっちゃうのだ。
一周回って、
「暗いと不平を言うよりも、すすんで灯りをつけましょう」
は正しいことになるのかな。
実は今日のこの記事、
過去に書いた記事を一部使ってまた違った観点から編集、リメイクしたもの。
こんなふうにして綴る記事もあってもいいのかな。
って思っている。
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今日は、6月第3日曜日、
父の日なんだね。
あまり気にもしていなかったが、
テレビをつければ「父の日、父の日」と言っているので、気づかないわけもない。
そういえば、
妻が子ども達にこっそり頼まれたようで、
妻経由で「何か欲しいものないの?」という、
それとなくの父の日ギフトリクエストの下調査があったのは先月のこと。
とくに欲しいものもなかったが、
その時の氣分で、
なにか適当に言った覚えはあるが、さて、
何をリクエストしたかは覚えていない。
今日は遅番勤務なので帰宅するのは夜遅く、
なにか用意してくれているのだろうか?
なんて思ってみたり…
さて、、、
そんな日曜日。
日曜日といえば、
僕には、
子供の頃、結構印象深かった、
日曜日朝にやっていた、
キリスト教系の「心のともしび」という番組があった。
「暗いと不平を言うよりも、すすんで灯りをつけましょう」という語りで始まるもの。
懐かしい。
番組の内容は何一つ覚えていないが、
このフレーズだけがいまだに頭にこびりついている。
確かにそうなんだよな、
あかりつけたらいいじゃん、
それで問題解決でしょ?
って思うのだけど、
現実はそんなに単純ではなかったりもする。
「暗い!」って不平を言う奴が多数いる状況、
ならば、すぐにでも明るくしたいのかといえば、
その中の一定割合の人々は、
実際のところ、真に解決を望んでいるわけではなく、
自分の鬱憤を晴らすために、
ただ文句を言いたいだけだったりする
まさしく“烏合の衆”だ。
よしそれなら俺が!
なーんて、
進んであかりをつけちゃうと、
「いい格好しぃめ😤」だとか、
「スタンドプレイしちゃってよ😒」
だとか言われたりすることもある。
さらにこんなパターンだってある。
じつは、最初からちゃんと明かりをつけるべき人間がいて、
ヒーロー登場!とばかりに、
つけるタイミングを見計らっていたりする…
つまりが自作自演みたいなものの場合もあり、
そういうシナリオを知らなかったり、
あるいは空気を読まずに、
あかりをつけちゃうと、
良かれと思ってやったことが
冷ややかな目で見られたり、
非難の対象になったりする。
「オメェーじゃねーんだよ💢」
ってね😓
余計なことしやがって…とまで、
言われる始末。
そんなことで臆病になったりもする。
善意の行動が、歓迎されないことがあるのにはそんな理由もるのだろう。
また、すすんであかりを一度でもつけたら、
以降、永劫に「あかりつけ係」
に意に沿わないまま、なったりする。
そんなこともあったりするから、
暗いままで、
だれもあかりを灯せずに、
「誰かあかりつけねーかなぁ😒」
って暗闇に不安を持ちながらも、
その状況に甘んじている。
救世主の登場を待つのはまさしくこれと同じこと。
暗闇が解消されない理由はいろいろあるものだ。
組織の暗黙のルールとか、
予定調和に基づいた円滑な人間関係とかさ…
いろいろ思考をこねくりまわさないと、
うまく立ち回れない世の中だったりする。
不満だけど、
その現状に甘んじてしまう。
そこには諦めがあったり、
臭いものには蓋…だったり、
見て見ぬふりをする、
そんな人が世の中にはいっぱいいるよね。
そんな時に、
組織に関係ねぇ奴が、
「俺には無関係だもんねー」とばかりに、
空気読まずにズバズバ言ってくるんだ。
それもそんなやつに大枚はたいて、
意見を聞くんだ。
そいつは、
経営コンサルタントだったり、
何とかアドバイザーだったり。
そいつらが言う事は、
意外と、
誰もが口には出さないけれど、
心の中で思っていたりすることなんだよね。
でもって、
なんとかコンサルタントの言うことが採用されて、灯りがつく。
一番の問題は、
しがらみや忖度だったことに気づく。
誰かが言い出せば、
やってしまえば、
金かけずに打開できたものを…😒
なんて、思ったところで後の祭り。
ばかだね…
そんなふうに思ったことがあったんだ。
昔だけど。
となるとだね、
誰がなんと言おうとも、
「暗いの嫌だから、オレが灯りつけちゃう!」
って奴が、やっちゃったらやっちゃったで、
意外にうまくいっちゃうのだ。
一周回って、
「暗いと不平を言うよりも、すすんで灯りをつけましょう」
は正しいことになるのかな。
実は今日のこの記事、
過去に書いた記事を一部使ってまた違った観点から編集、リメイクしたもの。
こんなふうにして綴る記事もあってもいいのかな。
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