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昨日、オーディオブックで聴いた「センス・オブ・ワンダー」のエッセンスが僕にしみていると見えて、
ふとした瞬間に、
自然を感じようとする自分がいる。

今は雨の落ちる音に、耳をすませ、
聴きいっている。

思考を離れて、
この落ち着いた感覚を楽しむことができる。

そんな中、
ふと「寛容」についての思いが浮かんできた。

今の世の中って、
いわゆる偽物にたいしてすごく不寛容な世界になったものだと、
改めて感じた。

やはり大きなところでは、
「権利意識」や「消費者保護」という観点からだろうか。

ブランド保護という観点、

確かに、ブランド側からしてみれば、
偽物なのに本物を装ってそれ相当な金額で売られれば、たまったものではない。
もちろん、騙された買った人もだが。

それもわかる。

そこには、偽物を作る側の「人を騙す」悪意の度合いが関係する。

昔は、
偽物が世にはびこっていた。
なんていうのかな、
そんなに精巧なものじゃなくて、
明らかに偽物。

ロゴだって、
ちょっとパロディチックにされ思えてしまう、
「PUMA」が「PUNA」とか、
「adidas」が「abidas」とかね…

僕が中学生の頃、
僕を含めてたけど、
周りの友達は平気でみんなそんなものを身に付けていた。

端から本気にしていないんだ、
そういう偽物を、ニセモノとして「ハハハ」っていいながら楽しめる心の余裕が世の中にあったのだと思う。
これも寛容性の顕れかと。

今は、十把一絡げ。
偽物=悪みたいな評価と、
「悪意」や「詐欺」といった重いレッテルが貼られがち。

ほんの一部の悪い輩のせいで、
世の中の善良な、またほのぼのとした部分も一緒に規制の網にかけられる。
「遊び」や「おふざけ」も排除の対象になってしまった。

不寛容に向かうベクトルが、
色々な場面で見て取れるようになった。

こうして世界には、
「笑って受け流す」ことすら人々に後ろめたく感じさせるような、
殺伐とした感じが増殖している、
僕にはそんなふうに思える。


「寛容」とは、単なる放任ではなく、
背景を汲みつつ、
違いを認める静かな受容なのかな。
そう、僕は感じている。
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