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閑さや 岩にしみ入る 蝉の声

あらためて紹介するまでもない、
松尾芭蕉の句だが、

僕は最近、
静寂の極みみたいな境地を体験した。

またその時同時に、
嗚呼!これのことなのか!
そうか、芭蕉はこういう境地にいたからこそ、
あの句を詠んだのか…

と、この句の真髄を知ってしまったような気になって、その腑に落ち感の凄さにも感嘆していた。

僕は、俳句に志があるわけではなく、
烏滸がましくも芭蕉の句を解説する立場にはいないのだけど、
僕の中の、言葉を介在させない部分における「気づき」といったところだろうか。

都会の喧騒の中でも、
本質的に、ただただ静かで、
全く動かない。また、時間の概念も、価値判断もない世界が広がっていることに気づけるのだ。

それは特別な瞬間ではなく、いつでも。

それでいて、
この世界を垣間みるのはとても難しいことなのかというと、全然そんなことはない。

あるコツみたいなものを掴めば、
誰でも体験できるはず。

ちなみに、
さとりでも何でもない。

自分の思考に付き合わないで、
ただただ思考を見つめる傍観者となる。
思考ってやつは、
自分を見られるのがとても嫌だとみえて、
ただただ楽に、根気強く傍観者を続けていれば
思考は黙して言葉を発しなくなる。

あら、なんて静かな世界😆

うるさいのは、外界の音や煩わしさなどではなく、
自分の思考だったことに気づく。

思考を止めたら、
いつでも静かで穏やかな世界にたたずむことができる。

今度もう少し詳しく触れてみたいと思います。

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