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今日は3.11です。
未曾有の大災害、
あの「東日本大震災」から14年。
あの日のこと、またその後のことをたまに思い出す。
僕はちょうどあの日、東京地裁に用事があって出かけていて、
用事終わり、大手町駅から地下鉄に乗ろうとしたときに、あの地震に遭遇。
地下鉄駅員に先導され皇居前広場まで避難した。どうにかして交通機関で帰宅できないか試みたが、ダメ。
結局、電車も動かず、バスにも乗れず。
風邪気味で体調が悪い中、
1 8キロの距離をヘトヘトになりながら徒歩で帰った。
現地で被災された方からすれば、全く大した事のない話だが。
そして、当時の僕は、
自営の仕事と並行して、
商品車を自走で運ぶ陸送の仕事にも従事していた。
あの震災の後、数ヶ月間は東北と東京を何度も往復した。
なんでか?
ボランティア活動というわけでもない。
あの震災で、
多くの車が津波で流されたり、
あるいは水害、物理的損壊によって走れなくなった数、多数。
そして急いで車を買おうにも、
商品車が足りない。
東京や、近県のボランティア団体が、中古車を買って現地に寄贈。
ただ、現地のナンバーをつけなくてはならないため、東京からナンバーのついていない車を仮ナンバーをつけて現地陸運局まで持っていき、登録をして寄贈先のお客様に届けるという仕事で、トータルで十往復以上はしただろうか。
現地では仮設住宅の建設が進められていた。
そんな中、まだ道路の復旧も追いついてはおらず、地盤沈下のせいで、マンホール部分がマリオの土管のように道路から突き出ているなど、震災後の現地の状況を思い知らされた。
東京〜仙台間の往復が多かったが、
余震と思われる地震もまだあったし、
途中でどうしても福島を通らなければならず、
それを嫌ってか、この仕事で率先して手を挙げる人も多くはなかった中、
僕は割と、この仕事には他の人よりも多く従事した。
ある意味使命感を持っていたからこそできたのかもしれない。
もちろん経済的な理由も大きかったが…
お届け先の現地の人からは、
わざわざ東京からありがとうと、
大変感謝された、そんな想い出。
僕にとっては、陸送の仕事のひとつに過ぎなかったが、
現地の人たちにとっては生活を立て直すための第一歩だったのかもしれない。
それでも時間は過ぎていく。
あれから14年か…
もうめったにあちら方面に行く機会もなくなったが、復興は進んだと言われているし、実際にそうなのだろう。
僕が見てきたのは、ほんの一部に過ぎない。震災で家族を失った人、生活が一変してしまった人、未だに心の傷を抱えたままの人もいるはず。
時間が経てばどうしたって記憶は風化していく。
それはある意味では日常が戻ってきたということかもしれない。
よろしければ応援のワンクリック!をお願い致します!

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今日は3.11です。
未曾有の大災害、
あの「東日本大震災」から14年。
あの日のこと、またその後のことをたまに思い出す。
僕はちょうどあの日、東京地裁に用事があって出かけていて、
用事終わり、大手町駅から地下鉄に乗ろうとしたときに、あの地震に遭遇。
地下鉄駅員に先導され皇居前広場まで避難した。どうにかして交通機関で帰宅できないか試みたが、ダメ。
結局、電車も動かず、バスにも乗れず。
風邪気味で体調が悪い中、
1 8キロの距離をヘトヘトになりながら徒歩で帰った。
現地で被災された方からすれば、全く大した事のない話だが。
そして、当時の僕は、
自営の仕事と並行して、
商品車を自走で運ぶ陸送の仕事にも従事していた。
あの震災の後、数ヶ月間は東北と東京を何度も往復した。
なんでか?
ボランティア活動というわけでもない。
あの震災で、
多くの車が津波で流されたり、
あるいは水害、物理的損壊によって走れなくなった数、多数。
そして急いで車を買おうにも、
商品車が足りない。
東京や、近県のボランティア団体が、中古車を買って現地に寄贈。
ただ、現地のナンバーをつけなくてはならないため、東京からナンバーのついていない車を仮ナンバーをつけて現地陸運局まで持っていき、登録をして寄贈先のお客様に届けるという仕事で、トータルで十往復以上はしただろうか。
現地では仮設住宅の建設が進められていた。
そんな中、まだ道路の復旧も追いついてはおらず、地盤沈下のせいで、マンホール部分がマリオの土管のように道路から突き出ているなど、震災後の現地の状況を思い知らされた。
東京〜仙台間の往復が多かったが、
余震と思われる地震もまだあったし、
途中でどうしても福島を通らなければならず、
それを嫌ってか、この仕事で率先して手を挙げる人も多くはなかった中、
僕は割と、この仕事には他の人よりも多く従事した。
ある意味使命感を持っていたからこそできたのかもしれない。
もちろん経済的な理由も大きかったが…
お届け先の現地の人からは、
わざわざ東京からありがとうと、
大変感謝された、そんな想い出。
僕にとっては、陸送の仕事のひとつに過ぎなかったが、
現地の人たちにとっては生活を立て直すための第一歩だったのかもしれない。
それでも時間は過ぎていく。
あれから14年か…
もうめったにあちら方面に行く機会もなくなったが、復興は進んだと言われているし、実際にそうなのだろう。
僕が見てきたのは、ほんの一部に過ぎない。震災で家族を失った人、生活が一変してしまった人、未だに心の傷を抱えたままの人もいるはず。
時間が経てばどうしたって記憶は風化していく。
それはある意味では日常が戻ってきたということかもしれない。
あの時、自分が何を見て、何を感じたのか。
それを言葉として残しておくことも、
小さな役割なのかもしれない。
あの日のことを知っている僕たちが、
時々でもこうして振り返ることには意味があるのだと思いたい。
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