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僕を含めて、
多くの人は、
スタンダードな視点として、
世界から自分を切り離してみている。

括って…
括って…
さらに括って…
そうしているうちに、
異質なものだらけ、
その中にいる自分を認識する。

僕は日本人、
人であって、かつ国籍が日本。
まずは人じゃないものを排除し、
国籍が日本以外のものを排除している、
それが日本人。
でもまぁ、人によっては、
日本国籍を持っているだけでは、
日本人と認めない人もいるかも?
生粋の日本人と、帰化日本人とか分けるのかな?

本当はさぁ、
日本人である前に、
人だし…
人である前に、
生き物であって、
って考えていくと、

生き物である前に、
地球上の存在であって、
地球という括りがあるのなら、
宇宙の一部でもあるわけで。

そうやって視点を広げていくと、
「僕」なんてものが、
どこまでいってもただの一側面でしかなくなる。


それは「世界から自分を切り離してみている」視点とは逆で、
むしろ世界と自分が一体化していく観点。

括ることで「僕」は日本人になり、
さらに括ることで「僕」は何者なのか、
を定義されていく。
でも、その括りを外していくと、
ただ「在る」だけの存在になる。

じゃあ、その「括り」って本当に必要なのかな?
日本人とか、人とか、生き物とか、
そういうラベルを貼ることで安心しているだけなのかもしれない。


自分が何者かなんて、
結局は「誰がどう括るか」によるのでは?

もし括りがなかったら、
僕は僕である理由を見つけられるのだろうか?

括りがない世界では、
「僕」なんてものは最初から存在しないのだろうか?

最終的には、
「ひとつ」に行き着くわけなのだけど。

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