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今年の漢字は「金」だそう。
ぜーんぜんピンと来ない。
いや、ピンと来ないのは毎年のことだから、
どうってことない。

世の中の、この時期ならではの話題づくりの為にだけ、
やっているのだろう。

そもそもだ、
僕とは違う人間が決めるのだから、
ピンとくるはずもない。
観点はみな同じじゃないのだ。
そういうこと。

さて、
同じじゃない、
から思い浮かんだこと、

民芸品の店だったかと思う、
モノ選びの際に、
これがいいかな?あれがいいかな?って悩みながら、
いたのだけど、

「みんなおんなじだよ。」
って、店主にいらつき気味にいわれて、
不愉快な思いをしたことがある。

「同じじゃねーんだよ」って、
心の中で言い返したけど😅

見てくれや表面上で同じに見えても、
違うものってあるでしょ、

贋作や、フェイク、もそうだし、
心を込めて作られたものと、
やっつけ仕事で作られたものとか…

そして、
たまたま思いだしたのだけど、

“おひょいさん”の愛称で呼ばれていた故藤村俊二さんが語っていたお話で、
自分でプロデュースしてこだわりの喫茶店をつくったのだそう、

しかし、完成したお店の仕上がりを見て、
NO!を突きつけたのだそう。

とにかく、
自分がイメージしたのとは違って、
全体的にチープな雰囲気が感じられたのだとか。

藤村さんが「こだわりの…」といっているくらいだから、
細部まで注文をつけていたらしい。

同じ杉なら杉、ヒノキならヒノキで、
同じ木材でも、
産地によって全く違うらしい。
藤村さんは木材の産地も指定していたらしいが、
現場の人間が、
「そんなのおんなじ!」と、
勝手な判断で外国産の木材に変えたのだそう。

国産の木材でももちろん違うが、
まして気候も大きく違う外国産の木材にしてしまえば…
と考えれば、
知識のない僕でも想像がつきそう。

「同じ(木材の)名前でも、同じじゃないんですよ」
っていっていたっけね。

結局、作り直させた、という話。

僕は、
だよなぁ…
って納得したのだけど。

「同じもの」として許容できる範囲は、
人によりけり、
まちまちということになるのだろう。

そういう点で行くと、
僕はこだわり派の部類にはいるのかな?🤔


「拵える(こしらえる)」と「作る」
は同じか?
もちろん、表記方法が違うのは置いておいて…
意味として「同じでしょ…」という人もいるだろうが、
僕はちょっと受け容れられない。

実際のところ、
正しい答えは知らない。

ニュアンスの違いなのだろうけれど、
「拵える」が、思いを込めてつくるのに対して、
「作る」は作業という意味の動作に重きが置かれているのではないかと思うのだ。

あとはさ、
「おはよう」と「Good Morning」は同じか?
なんだけど、、、

違う、よね。

僕が「おはよう」と挨拶するときは、
ほぼ考えることなく無意識的に発しているのかもしれないが、
振り返って考えてみても、
「おぉ!いい朝ですな」
なーんで思いながら「おはよう」といった記憶がない。

だから、
僕の中では絶対に同じじゃない。

これもあくまでも僕が勝手に感じるニュアンス的表現だけど、
「おはよう」は、
お互いに早くから活動している事に対するねぎらい、
という気持ちで言っているのだと思う。

中身が違うんだ。

他人を慮ってする行動と、
自分の立場や見てくれをよくするための行動には、
見た目は同じかもしれないけれど、
中身は全く違う。
「善行」と「偽善」みたいな…

表面的には「同じ」に見えても、
その背後にある感情や背景、思いは千差万別。

「違う」という視点から見れば言葉やモノが持つ深みが垣間見える気がする。

そう考えると、
僕らが日々交わす何気ないやり取りももっと大切に扱うべきなのかもって思う。

「おはよう」も、どんな気持ちでそれを伝えるのかで、
相手に与える印象はまったく変わるだろうし?

無意識に言ってしまう挨拶の裏側に、
ほんの少しの「思い」を拵えてみるんだ。

もしかしたら、
そんな些細な試みが、
自分の経験する世界を変える切っ掛けになるかも?
なんて思ってみたり…

なんか、着地点失ってしまった感ありだが💦
これにて、今日の記事、
終わり。脱稿。THE END。筆を置きます。

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