昨日の通勤、帰り道、
勤務先最寄り駅から乗る電車、
いつも車内は雑然としているが、
電車の走行音や、
トンネルに入るときのゴーゴー音などはあるが、
疲れたサラリーマンやOLが、
スマホに目を落としながら、
静かに家路へと急ぐ感じで、
あまり話し声も聞こえない。
勤務先最寄り駅から一緒に乗車した
中国人5、6人のグループがいた、
いつものことだが、
乗った次の駅では、
乗客数が多くすぐに満車になり、
やがて超満員になってくる。
しかし、
そんな超満員の電車の中でも、
ひときわ目立つ中国人乗客たちの会話する大きな声、
僕はいつもイヤホンを装着し、
ある程度、外界の音を遮断して過ごしているのだが…
イヤホン越しにも、
それを破り聞こえてくるレベル😓
うるせーな😒
この電車内、お前らの声しか聞こえねーぞ💢
ほんと、中国人の話す声ってうるさくて不快だわ😤
と不快さ全開。
彼らにはその自覚は無いんだろうけどね…。
それが当たり前で、
その場では、自分たちが異質の存在であることに気づけないのだろう。
空気を読むことが当たり前の日本人ならそこで、
場の雰囲気を読んで、
小声で話すなりの配慮をする、
また、周りからそれが求められていることも暗示的に理解できる。
彼らからすれば、
そんなの関係ない…
周りを気にするなど、
観点のかけらもない。
こうして、僕は、
批判的な目で彼らを見るが、
これも自分の常識に照らして見ている世界だ。
自分の立場を超えて、
あの場であの状況を俯瞰的に観てみたとしたら、
他者への慮りと言うところもあるのだろうが、
それ以上に、
他者のため、公共のために、
自分を制限、我慢することの美徳に変な安心感を感じさせられているようにも思う。
やることの良し悪し、
そういったジャッジは一旦置いておいて、
自分のやりたいことと、
我慢すること、
そのどちらの割合を多く生きているのだろうか?僕は… 僕らは…
そう思った時、
ハッと気づかされたような気がする。
自分が何をやりたいのかがわからなくなるほど、制限することが当たり前になっている自分。
もちろん程度問題ではあるが、
自分のしたいこと、
言葉を言い換えてみると、わがまま、
もう少し自分に許容してあげてもいいような気がする。
うるさい中国人に怒りの感情を覚えつつ、
同時にそんな観点を抱いた僕だった。
とはいえ、
今日でこの通勤地獄ともおさらばさ!😆
月曜日からは新しい職場Bでの勤務がスタートする、
自転車通勤の手続きが完了するまではしばらく徒歩通勤です。
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