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今日でゴールデンウィークも終わりですね…
例年、ゴールデンウィークらしいゴールデンウィークを過ごしていない僕も、
なぜか終わってしまうとなると、
心寂しい思いがします😓
そして、今宵は、
世界スーパーバンタム級タイトルマッチ!が行われる。
チャンピオン井上尚弥が、ネリをぶちのめしてくれるところを早くみたいものだ。
今から楽しみにしているんだ!😆
さて、
相変わらず、
気持ちはやさぐれ気味です😅
時に、、、
「あきらめること」が、
いちばん自分を楽にしてくれる最強の落とし所になることだってある。
星野源の
「地獄でなぜ悪い」
という楽曲がある。
…ここは元 から、
楽しい地 獄だ
生まれ落ちた 時から
出 口などないんだ…
僕が最初にこの歌の詩を見たとき、
とくにこの一文に、
結構な衝撃を受けた。
「あぁそうか…」という感じで、
何か真実を突きつけられたようで…
僕らは、
どうしてか、
この世界に生まれてきた意味や目的をしりたい、
あるいは決めたいらしい、
そこで、
誰かが、
僕らはこの世界には幸せになるために生まれてきたんだよ、
なんて言うのだが…
僕はこの言葉をこれまでに何度も聞かされてきたが、
どうしても腑に落ちないでいる…
そして今に至る。
僕らがこの世界にいるのは、
もしかすると、
地獄に落とされた、
からではないのか?
って、
また、
記憶を消されて、
この地獄世界にほっぽり出された、
囚人的魂。
そんなふうに考えることがある。
僕にとっては、
幸せになるために…
という説よりも、
むしろ、
この世界は地獄説のほうが
しっくり来るかもね😅
そう考えたら希望も何もなくなってしまうじゃないか…
と言うかな?
それを言っちゃおしまいよ…
という理由で、
目を背けてそう考えるのをただ避けている人がいるのではないか?
とまで考えてしまったり。
囚人ならば、
この刑期に何を望もうと言うのだ?
いつまで見ればだ、
希望を持つこと自体がナンセンスだ。
なまじ変な希望を持つからこそ、
思いどおりにならなくて苦しむことになる。
起こるがままを受け入れて、
一切抵抗しないこと。
この地獄世界での堅実な過ごし方は、
一切を諦めて受け入れるのだ。
それに尽きる。
これは空想の話だ、
この世界は地獄説、
これを前提に、
もう少しこの戯言にお付き合いしてもらいたい。
この世界を、
天から俯瞰している存在の立場で見てみると、
実に滑稽ではないか?
地獄にいるとは知らずに、
必死にこの世界にへばりついて、
この世界で生き永らえようとしている。
より刑期を長くしてくれと懇願する囚人のようなものだろうか。
そんなことを懇願しなくとも、
決められた刑期で出所できるさ。
寿命というものがあるのだ。
この地獄世界では、
あらゆる抵抗は愚かしい、
無駄な抵抗をやめて、
淡々と生きることが、
堅実に生きるための方策なのじゃないだろうか。
ただ、僕は、
この世界が地獄であって欲しいわけではないのだけど、
この人生に嫌気が差したり、
絶望したりしたときには、
こんな考え方をしてみると、
どうしても受け容れがたい状況を、
飲み込んで、
次の一歩を踏み出すための助けになるのかも知れない、
そんなふうにも思うのだ。
望まない現実を、
もっとも長引かせて経験するには、
抵抗することだ。
というのは、
真理じゃないかと思う。
加藤諦三先生の、
テレホン人生相談での名ゼリフ、
「あなたが認めたくないものは何ですか? どんなに辛くとも、それを認めれば道はひらけます。」
を思い出した。
抵抗しているうちは、
苦しいばかり、
認めることは一種の「諦め」なのだと思う。
苦しいときには、
地獄に落とされたのだと、
諦めてしまえば良い。
後ろ向き過ぎかな…😓
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今日でゴールデンウィークも終わりですね…
例年、ゴールデンウィークらしいゴールデンウィークを過ごしていない僕も、
なぜか終わってしまうとなると、
心寂しい思いがします😓
そして、今宵は、
世界スーパーバンタム級タイトルマッチ!が行われる。
チャンピオン井上尚弥が、ネリをぶちのめしてくれるところを早くみたいものだ。
今から楽しみにしているんだ!😆
さて、
相変わらず、
気持ちはやさぐれ気味です😅
時に、、、
「あきらめること」が、
いちばん自分を楽にしてくれる最強の落とし所になることだってある。
星野源の
「地獄でなぜ悪い」
という楽曲がある。
…ここは元 から、
楽しい地 獄だ
生まれ落ちた 時から
出 口などないんだ…
僕が最初にこの歌の詩を見たとき、
とくにこの一文に、
結構な衝撃を受けた。
「あぁそうか…」という感じで、
何か真実を突きつけられたようで…
僕らは、
どうしてか、
この世界に生まれてきた意味や目的をしりたい、
あるいは決めたいらしい、
そこで、
誰かが、
僕らはこの世界には幸せになるために生まれてきたんだよ、
なんて言うのだが…
僕はこの言葉をこれまでに何度も聞かされてきたが、
どうしても腑に落ちないでいる…
そして今に至る。
僕らがこの世界にいるのは、
もしかすると、
地獄に落とされた、
からではないのか?
って、
また、
記憶を消されて、
この地獄世界にほっぽり出された、
囚人的魂。
そんなふうに考えることがある。
僕にとっては、
幸せになるために…
という説よりも、
むしろ、
この世界は地獄説のほうが
しっくり来るかもね😅
そう考えたら希望も何もなくなってしまうじゃないか…
と言うかな?
それを言っちゃおしまいよ…
という理由で、
目を背けてそう考えるのをただ避けている人がいるのではないか?
とまで考えてしまったり。
囚人ならば、
この刑期に何を望もうと言うのだ?
いつまで見ればだ、
希望を持つこと自体がナンセンスだ。
なまじ変な希望を持つからこそ、
思いどおりにならなくて苦しむことになる。
起こるがままを受け入れて、
一切抵抗しないこと。
この地獄世界での堅実な過ごし方は、
一切を諦めて受け入れるのだ。
それに尽きる。
これは空想の話だ、
この世界は地獄説、
これを前提に、
もう少しこの戯言にお付き合いしてもらいたい。
この世界を、
天から俯瞰している存在の立場で見てみると、
実に滑稽ではないか?
地獄にいるとは知らずに、
必死にこの世界にへばりついて、
この世界で生き永らえようとしている。
より刑期を長くしてくれと懇願する囚人のようなものだろうか。
そんなことを懇願しなくとも、
決められた刑期で出所できるさ。
寿命というものがあるのだ。
この地獄世界では、
あらゆる抵抗は愚かしい、
無駄な抵抗をやめて、
淡々と生きることが、
堅実に生きるための方策なのじゃないだろうか。
ただ、僕は、
この世界が地獄であって欲しいわけではないのだけど、
この人生に嫌気が差したり、
絶望したりしたときには、
こんな考え方をしてみると、
どうしても受け容れがたい状況を、
飲み込んで、
次の一歩を踏み出すための助けになるのかも知れない、
そんなふうにも思うのだ。
望まない現実を、
もっとも長引かせて経験するには、
抵抗することだ。
というのは、
真理じゃないかと思う。
加藤諦三先生の、
テレホン人生相談での名ゼリフ、
「あなたが認めたくないものは何ですか? どんなに辛くとも、それを認めれば道はひらけます。」
を思い出した。
抵抗しているうちは、
苦しいばかり、
認めることは一種の「諦め」なのだと思う。
苦しいときには、
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諦めてしまえば良い。
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