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ずいぶん以前に、
目が覚めたエピソードを綴った。

どんなものだったのかというと、
幼稚園児(女の子)が、
お母さんと一緒にバスに乗っていた。

降り際に女の子、
大きな声で、
運転士さんに、
「タダで乗せてくれてありがとうございました!」
って、言ってた。

そうか、
僕は幼稚園児がバスにタダで乗れるのはあたりまえだと思っていて、
さしてありがたみも感じていなかったのだ。

そのことに気づかされて、
ちょっとした目から鱗、
なるほどねー
と思ったというもの。

あたりまえというのは
自分がいかに恩恵を受けているかに、
気づけないばかりか、
人生をつまらなくさせるものなのかも?
なんてね…

でもね、
「あたりまえ」の観点もいいんじゃない?
って最近思った。

ちなみにここでいうところの「あたりまえ」は主に状況についてを言っているのだが…
礼儀やマナーについてはお互いに気分よくなれるようには心がけている。
(ちょっと言い訳がましかったかな…😅)

で、
あたりまえでいるということは、
自分の思いと現実がマッチしているということでは?🤔
と思えたからだ。

ある意味で、
望みが叶っている状態とも言えるのではないのかな?

なんかね、
ふと僕は、
普段の感謝心が足りないんじゃないか?
って、自分のことを少し卑下していたことに気がついた。謙虚じゃない…などの言葉を貼り付けていた。

意識さえすれば、
感謝のネタなどいくらでもある、
ことにも気づいた。

例えば、
空から爆弾が降ってこないのが、
あたりまえの世界で暮らしている。
でもこの地球上、他の地域では、
爆弾がいつ飛んでくるかわからないような状態で日々を暮らしている人もいるわけで、
そんなふうに少し意識してみれば、
ああ、平和な世の中に暮らせていてありがたいな、などと思える。

爆弾が降ってこないのがあたりまえでいるということは、
すでに望みが叶っていて、
それ(叶っているということ)を忘れてしまえるくらい自然な状態になっているということ。

健康についても、
また然りということなのだろう。

だから、
あたりまえでいられるのはまた、
別の意味でありがたいことなのだ。

んー、
なんか言いたかったことが、
ヘンな展開になってきた💦

ありがたいと思わなくても、
また、あたりまえもいいもんだよ的なこと言いたかったのね😅

でも、あたりまえでいられることも、
結局、
「ありがたい」
ものなのよねー😌
に帰結してしまったではないか!

まぁ、いいか!😆

あたりまえに気づくこと、

そんなのを大切にしてみると、

それが充実感や幸福感を生み出す一つの方法となるのかもしれないなぁ。


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