今日もこのブログに訪問して下さりありがとうございます!😊

何度かこのブログ記事でも触れてはいるが、
相変わらず、
「ありがとう」を1,000回唱えている。
日課にしてから5か月が経過しようとしている。
基本的に、三日坊主体質の僕なのに自分ながらよく続いてるものだと思う。
しかし、
ここまで続けてきたらもう今更やめるわけには…という意地みたいなものもあるのかもしれない😅
始めたきっかけは、
言霊効果みたいなもの。
感謝の言葉「ありがとう」を唱えることで、
その感謝に、見合った感謝に値する現実が引き寄せられるのではないか?
という引き寄せのような狙いがあってのことだった。
じゃぁ、そうした結果的、
現実的にはどうなのか?
といえば、あまり大きな変化は無い。
ように感じる。今のところ…💦
まぁ、はっきり言うと、あまり期待したような効果が得られているとは言えないと感じている😅
でもね、
このありがとうを千回唱えることでいろいろな気づき体験があった。
それはまたこの後半で語ることとして。
その間、
あーじゃねー、こーじゃねー🤔
って、
「ありがとう」を唱えるにも、
僕の中でやり方にしても、
心持ちにしても、
いくらかの変化を経てきた。
ときにはありがとう言うのめんどくせえな。
なんで俺こんなこと始めたんだろう?😓
嫌々、ありがとうを唱える。
適当に早く唱えて早く終わらせたい。
正直なところ、告白すると、
そんな気分になることも実は多くあった。
そのたびに何らかの理由付けをして、
それを正当化する。
いいんだよ。言霊効果なんだから、言うことに意味があるんだよ、言葉に力があるんだよ。
なんてね…
なんとも無機質に「ありがとう」を唱える。
唱えていながら、
こんなんでいいのかな…🤔
なんて思うことも。
もしかしたら、一向に、自分の思ったような望ましい現実が展開されないので若干ヤケになっていたのかもしれない。
そんなある時、
チャクラについての学びをふと思い出した。
各チャクラには音階が割り当てられている。
第1チャクラ ド
第2チャクラ レ
第3チャクラ ミ
第4チャクラ ファ
第5チャクラ ソ
第6チャクラ ラ
第7チャクラ シ
ってね。
また、
発する声のトーンや、
響かせかたによって感応するチャクラが違うのだ。
感謝の気持ちって、やっぱり(心)ハートからだよね。
と言うことで、ハートチャクラ(第4チャクラ)を意識して「ありがとう」を唱えてみることにした。
そのように意識してやってみると、
以前のように、ただ言葉を発するだけ、というわけにはいかないようになってきた。
ものすごく基本的な話なのかもわからないが、
やはり何らかの思いを込めてこそ「ありがとう」が言えるのだ。
遅まきながらそれに気づく。
それからのありがとう唱えは、
僕にとってのやる意味が変わってきた。
やるたびに毎回新たな発見がある。
それは、僕がこれまで生きてきた中で、
僕が受けとった親切や優しさ、愛情、愛。
誰かが僕に対してしてくれた善意の行動、
もう全く忘れていたのに、
小さなことから大きなものまで、
ありありと思い出す。
例えば、
高校3年の頃の話だ、
僕が大学の推薦入試の受験日の前日を提出期限にしたとても面倒くさい手間のかかる地理の課題がだされた。僕を邪魔する地獄の課題のように感じた。
試験に向けての追い込みの時期にかなりの負担になる課題であった。
僕はそれを嘆いていたんだね。
「あ゛〜〜〜〜もぉおおおおお!!!😩」って。
その課題を同じクラスのSが自分の分と僕の分、2人分をやってくれたのだった。
もう完全に頭の中になかったのだが、
唱えている最中にそのことを思い出した。
「あっ!」そんなことあったなぁ。
僕は見事、その推薦入試で大学に合格し、
浮かれてでもいたのかな💦
僕はSにお礼をした覚えがない。
なんとも恩知らずな奴だ😓
そんなふうに思うこともある。
そして僕にとって大きいのは、
僕は、いろいろな人からいろいろな恩恵を受けていた。愛されていたんだ。
大事に思われていたんだ。
優しくされていたんだ。
って、思える記憶が毎回毎回新たに蘇る。
僕はとても自己肯定感が低い。
すぐに、自分なんて…とか思ってしまう。
自分はだめなやつとか思ってしまう。
しまいには、こんな奴が愛されるはずはない。
なんてね💦
でもね…
マイナーチェンジしたありがとう千回唱え以降では、自分も捨てたもんじゃないじゃん?
なかなかに愛されていた存在なんじゃん?
ありがたいなぁ…ありがたいなぁ…
って、思えるようになってきたのだ。
僕には縁遠く感じていた「自愛」。
少しだけ身近に感じるようになってきた。
これはいい傾向なんじゃないのかな?🤔
なんて。
だから、以前のように、嫌々ありがとうを称えるなどということがなくなった。
毎回の何らかの気づき体験や、
恩を受けた経験を思い出すことなど、
これらは僕にとってはとても有意義だ。
1000回唱え終わった後、
自然に顔が緩んで、
笑顔になっていることに気づく。
時には、思い出したありがたさで目が潤むことさえある。
また、何か自分の気まぐれ?😅いゃ気づきでマイナーチェンジすることがあるかもしれないが、
それはそれで面白いことなのかもしれない。
今までのやり方が間違っていたかどうかわからないが、今のこの境地があるのは、嫌々やっていたりとか、めんどうくさいなと思いながらやっていた。
そんなことも今に至る一過程として大事なものだったのかもしれない。
と、そう思っている。
自分にしては、なかなかポジティブな見解じゃん?なんて思っている😆
=================================
よろしければ応援のワンクリック!をお願い致します!😃

=================================


何度かこのブログ記事でも触れてはいるが、
相変わらず、
「ありがとう」を1,000回唱えている。
日課にしてから5か月が経過しようとしている。
基本的に、三日坊主体質の僕なのに自分ながらよく続いてるものだと思う。
しかし、
ここまで続けてきたらもう今更やめるわけには…という意地みたいなものもあるのかもしれない😅
始めたきっかけは、
言霊効果みたいなもの。
感謝の言葉「ありがとう」を唱えることで、
その感謝に、見合った感謝に値する現実が引き寄せられるのではないか?
という引き寄せのような狙いがあってのことだった。
じゃぁ、そうした結果的、
現実的にはどうなのか?
といえば、あまり大きな変化は無い。
ように感じる。今のところ…💦
まぁ、はっきり言うと、あまり期待したような効果が得られているとは言えないと感じている😅
でもね、
このありがとうを千回唱えることでいろいろな気づき体験があった。
それはまたこの後半で語ることとして。
その間、
あーじゃねー、こーじゃねー🤔
って、
「ありがとう」を唱えるにも、
僕の中でやり方にしても、
心持ちにしても、
いくらかの変化を経てきた。
ときにはありがとう言うのめんどくせえな。
なんで俺こんなこと始めたんだろう?😓
嫌々、ありがとうを唱える。
適当に早く唱えて早く終わらせたい。
正直なところ、告白すると、
そんな気分になることも実は多くあった。
そのたびに何らかの理由付けをして、
それを正当化する。
いいんだよ。言霊効果なんだから、言うことに意味があるんだよ、言葉に力があるんだよ。
なんてね…
なんとも無機質に「ありがとう」を唱える。
唱えていながら、
こんなんでいいのかな…🤔
なんて思うことも。
もしかしたら、一向に、自分の思ったような望ましい現実が展開されないので若干ヤケになっていたのかもしれない。
そんなある時、
チャクラについての学びをふと思い出した。
各チャクラには音階が割り当てられている。
第1チャクラ ド
第2チャクラ レ
第3チャクラ ミ
第4チャクラ ファ
第5チャクラ ソ
第6チャクラ ラ
第7チャクラ シ
ってね。
また、
発する声のトーンや、
響かせかたによって感応するチャクラが違うのだ。
感謝の気持ちって、やっぱり(心)ハートからだよね。
と言うことで、ハートチャクラ(第4チャクラ)を意識して「ありがとう」を唱えてみることにした。
そのように意識してやってみると、
以前のように、ただ言葉を発するだけ、というわけにはいかないようになってきた。
ものすごく基本的な話なのかもわからないが、
やはり何らかの思いを込めてこそ「ありがとう」が言えるのだ。
遅まきながらそれに気づく。
それからのありがとう唱えは、
僕にとってのやる意味が変わってきた。
やるたびに毎回新たな発見がある。
それは、僕がこれまで生きてきた中で、
僕が受けとった親切や優しさ、愛情、愛。
誰かが僕に対してしてくれた善意の行動、
もう全く忘れていたのに、
小さなことから大きなものまで、
ありありと思い出す。
例えば、
高校3年の頃の話だ、
僕が大学の推薦入試の受験日の前日を提出期限にしたとても面倒くさい手間のかかる地理の課題がだされた。僕を邪魔する地獄の課題のように感じた。
試験に向けての追い込みの時期にかなりの負担になる課題であった。
僕はそれを嘆いていたんだね。
「あ゛〜〜〜〜もぉおおおおお!!!😩」って。
その課題を同じクラスのSが自分の分と僕の分、2人分をやってくれたのだった。
もう完全に頭の中になかったのだが、
唱えている最中にそのことを思い出した。
「あっ!」そんなことあったなぁ。
僕は見事、その推薦入試で大学に合格し、
浮かれてでもいたのかな💦
僕はSにお礼をした覚えがない。
なんとも恩知らずな奴だ😓
そんなふうに思うこともある。
そして僕にとって大きいのは、
僕は、いろいろな人からいろいろな恩恵を受けていた。愛されていたんだ。
大事に思われていたんだ。
優しくされていたんだ。
って、思える記憶が毎回毎回新たに蘇る。
僕はとても自己肯定感が低い。
すぐに、自分なんて…とか思ってしまう。
自分はだめなやつとか思ってしまう。
しまいには、こんな奴が愛されるはずはない。
なんてね💦
でもね…
マイナーチェンジしたありがとう千回唱え以降では、自分も捨てたもんじゃないじゃん?
なかなかに愛されていた存在なんじゃん?
ありがたいなぁ…ありがたいなぁ…
って、思えるようになってきたのだ。
僕には縁遠く感じていた「自愛」。
少しだけ身近に感じるようになってきた。
これはいい傾向なんじゃないのかな?🤔
なんて。
だから、以前のように、嫌々ありがとうを称えるなどということがなくなった。
毎回の何らかの気づき体験や、
恩を受けた経験を思い出すことなど、
これらは僕にとってはとても有意義だ。
1000回唱え終わった後、
自然に顔が緩んで、
笑顔になっていることに気づく。
時には、思い出したありがたさで目が潤むことさえある。
また、何か自分の気まぐれ?😅いゃ気づきでマイナーチェンジすることがあるかもしれないが、
それはそれで面白いことなのかもしれない。
今までのやり方が間違っていたかどうかわからないが、今のこの境地があるのは、嫌々やっていたりとか、めんどうくさいなと思いながらやっていた。
そんなことも今に至る一過程として大事なものだったのかもしれない。
と、そう思っている。
自分にしては、なかなかポジティブな見解じゃん?なんて思っている😆
=================================
よろしければ応援のワンクリック!をお願い致します!😃
=================================


コメント