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この世に生まれ出て
これまでこの世で生きてきて、
学んできたもの、
体得してきたものといえば…

大半が「制限」についてなのではないかと思う。

人間としてこうあるべき、
こういう生き方を目指すべきより、
人としてしてはいけないことを徹底的に教え込まれる。

あれ?
考えてみたら、
○○べき、も制限だったか😓

社会生活を円滑にするため、
という名目で、
個々人が一定の制約を強いられる。
また応分の負担を求められたり。

まぁそれがあるから安心して生活できるという一面もあるのだろうが、
そういったものが行き過ぎた世の中になれば、
窮屈で生きにくい日常にもなる。

特に日本では、
他人に迷惑をかけることを回避すべく、
それが至上命題のような教育をされる。

自然と萎縮してしまう傾向になり、
またそのことに慣らされすぎたためか、

もう無意識で何かと
「すみません…😓」
とか言っちゃうもんね。

自分の希望を優先することなんて、
たまにそれが悪であるかのように感じてしまうこともある。

他人の顔色を窺ったりして、
自分の望みを前面に、
なんてことは端ないことと、
躊躇してしまう。

そんな風潮だってあるように僕は感じてしまう。

「自分のやりたいようにやる」
この言葉をポジティブに捉えられる人がどのぐらいいるだろうか?

身勝手でわがままな奴だ、
とか、他人の事は良いのかよ😒
なんて言う考えが出てくる人も結構いるのではないかな?

他人を慮ることと、
自分のしたいことをするのは、
なにも対極にあるものではなく、
全く別のものだと思うのだが…

我慢や制限と結びつけてしまう癖があるのだろう、
結局は身をひいたりすることも…

また他人のために生きることをよしとする道徳的な教えもよく目に耳にする。

耐えて、苦労して、他人のために生きて、
そして一生を終えていく。
こんなストーリーの映画があったとしたら、
割と多くの人が称賛の目で見るのではないだろうか…
こんなのが美談になってしまうのはちょっとおかしいのでは?
と正直なところ僕は思う。

みんなが気づかずに制限のマスター(達人)になっているのだ。

こんな、一億総制限のマスターの世界では、
現実、いわゆる非常識な奴がいい目をみるのだ。
(これはアナーキストという意味ではなく…😓例としてはビジネス的な成功者などはけっこう非常識な人が多かったりする。)

制限のマスターたちはそんな彼らを見て、
非常識で人でなしだと非難するが、
内心うらやましい気持ちで見ている。

自分のやりたいことができていいなぁ…
なんてね。
羨望の眼差しで見ているのだ。

へんだよね、、、

一方制限のマスターたちから非常識と非難された人たちは、
何の良心の呵責もなしに自分の思うことをしている。

結局のところだ…

自分の信念に従って生きて、
それに見合ったものを体験している、
ということになるのかな。😅

よく、常識がない奴を見ては腹を立てている僕だが😅
すぐに自分に制限をかけてしまう癖を直そうかと意図して生きるように心がけている。

人生はゲーム 誰も自分を
愛しているだけの 悲しいゲームさ…

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