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最近ふと思ったこと。
違うジャンルの本を、
同じ時期に読み進めるって結構面白いことなんだなぁって。
それは意図的にしていることではないのだけど。
つまりが、読みたい本があって入手するのだけど、途中まで読み進めて中断。
その中断してる間にまた他の本が読みたくなって読み始める、そんなこと。
早い話が投げ出してしまったということ💦
ついこの間まで、
自己肯定感に関する本を読んでいた。
で、中断。そして中断してから、引き寄せの法則であるとか、潜在意識に関する本を読み始めた。するとなぜか自己肯定感に関する本で書かれていたことが、他の本によってより理解度が高まったり、深く納得できるようなことが多々あった。
そして潜在意識的なアプローチでこれを応用したらもっと役立てられるかもしれないぞ!😆なんてことも。
かえってタイムリーだ!なんて思うし、
ちょっとした不思議な感覚もある。
多岐にわたってネバナラナイ思考の強い僕は、
まず本を途中で投げ出してしまうことは許せないたちなのだが、そのくせ読みかじっては放置してしまうこともよくあり、そのたびにダメな自分を痛感し、自己卑下しては嫌な気分に陥るというネガティブな経験を繰り返す、
これを結構長い間続けてきたのだ。
しかし、
中断して、他の本を読むという行為も、
観方によっては、
1冊の本を、また違った観点から見られるという、普通に通読したのでは得られなかったメリットもあるものなのだな😯と、
そんな発見ができたことにちょっとびっくりしている。
そんな発見があると、
今までは中断して投げ出したまま続きを読むことがなかった本も、
また読み続けようという気になったりする。
さて、自己肯定感に関する本には、
概して自己肯定感が低い人は、
視野が狭い
のだという記述があった。
んー、まさしく!
と思ってしまった。
僕のことじゃん😅
ねばならない…っていう思考をすぐにしてしまうということは、
すでに視野が狭い証拠だわね💦
かつては僕も、
サラリーマンやってた頃にはイケイケ時代があった😆
それこそ自己肯定感も相当なものだっただろう。
今思い起こしてみると、
あの頃には大袈裟な話ではなく、
何でもできると思ってたよ。
問題なんか起きても、深く考えずに、
あぁなんとかなる!って普通に思えてたっけ…
それは視野が広かったせいだと思う、
視野が広ければ、解決のための方策だっていろいろ見つかると言うもの、だから怖くなかった。解決する自信があったと言うよりは、当たり前にそう思っていた。
そこで今の自分に意識を移すが、
どうしてこんなふうなヤツになっちまったのかなぁ🥺なんて思うだけど…
理由探しをしたところで、意味は無い。
また思考の罠にはまるばかりだ。
望む現実に目を向けるのだよ、自分。
そして、
読みかじりも悪いことではないなぁ、なんて思えてる時点で、
今までの偏狭の視野が多少広がったわけで、
少し前の僕に比べれば、自己肯定感も多少はマシになったのかもしれない。
今の観点であれば、
三日坊主でも、三日はやれただけ偉いぞ自分!って言ってやれるような気がする。😆
それは…
鶏が先か、卵が先か…のようなことなのかもしれないが、
視野が広くなったから自己肯定感が幾分高くなったのか、自己肯定感が高くなったから視野が広がったのか???🤔
わからないけど、
まぁどうでもいいか。
思考ってやつはほんとにどうでもいいことを考えさせようとするものだ💦
引き寄せの法則関連であると、
必ず出てくるのがアファメーションというもの、肯定的宣言とでも言おうかな。
望む現実が叶った形で宣言をする、
例えば視野を広く持ちたいものだと思っているならば、
「私は広い視野でこの世界を見ている!」
など。
早速このファメーションをしてみる。
あーら不思議😅
若干視野が広くなったように感じるのだ。
そして少しいい気分になる。
視野が広くなって、さらに良い気分になれば、
何をするにだって可能性の幅もより広がるというもの。
やっぱり視野は大きく広く持っていたいものだなぁと😌
そんな発見と気づきに嬉しく思う僕なのであった🤗
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最近ふと思ったこと。
違うジャンルの本を、
同じ時期に読み進めるって結構面白いことなんだなぁって。
それは意図的にしていることではないのだけど。
つまりが、読みたい本があって入手するのだけど、途中まで読み進めて中断。
その中断してる間にまた他の本が読みたくなって読み始める、そんなこと。
早い話が投げ出してしまったということ💦
ついこの間まで、
自己肯定感に関する本を読んでいた。
で、中断。そして中断してから、引き寄せの法則であるとか、潜在意識に関する本を読み始めた。するとなぜか自己肯定感に関する本で書かれていたことが、他の本によってより理解度が高まったり、深く納得できるようなことが多々あった。
そして潜在意識的なアプローチでこれを応用したらもっと役立てられるかもしれないぞ!😆なんてことも。
かえってタイムリーだ!なんて思うし、
ちょっとした不思議な感覚もある。
多岐にわたってネバナラナイ思考の強い僕は、
まず本を途中で投げ出してしまうことは許せないたちなのだが、そのくせ読みかじっては放置してしまうこともよくあり、そのたびにダメな自分を痛感し、自己卑下しては嫌な気分に陥るというネガティブな経験を繰り返す、
これを結構長い間続けてきたのだ。
しかし、
中断して、他の本を読むという行為も、
観方によっては、
1冊の本を、また違った観点から見られるという、普通に通読したのでは得られなかったメリットもあるものなのだな😯と、
そんな発見ができたことにちょっとびっくりしている。
そんな発見があると、
今までは中断して投げ出したまま続きを読むことがなかった本も、
また読み続けようという気になったりする。
さて、自己肯定感に関する本には、
概して自己肯定感が低い人は、
視野が狭い
のだという記述があった。
んー、まさしく!
と思ってしまった。
僕のことじゃん😅
ねばならない…っていう思考をすぐにしてしまうということは、
すでに視野が狭い証拠だわね💦
かつては僕も、
サラリーマンやってた頃にはイケイケ時代があった😆
それこそ自己肯定感も相当なものだっただろう。
今思い起こしてみると、
あの頃には大袈裟な話ではなく、
何でもできると思ってたよ。
問題なんか起きても、深く考えずに、
あぁなんとかなる!って普通に思えてたっけ…
それは視野が広かったせいだと思う、
視野が広ければ、解決のための方策だっていろいろ見つかると言うもの、だから怖くなかった。解決する自信があったと言うよりは、当たり前にそう思っていた。
そこで今の自分に意識を移すが、
どうしてこんなふうなヤツになっちまったのかなぁ🥺なんて思うだけど…
理由探しをしたところで、意味は無い。
また思考の罠にはまるばかりだ。
望む現実に目を向けるのだよ、自分。
そして、
読みかじりも悪いことではないなぁ、なんて思えてる時点で、
今までの偏狭の視野が多少広がったわけで、
少し前の僕に比べれば、自己肯定感も多少はマシになったのかもしれない。
今の観点であれば、
三日坊主でも、三日はやれただけ偉いぞ自分!って言ってやれるような気がする。😆
それは…
鶏が先か、卵が先か…のようなことなのかもしれないが、
視野が広くなったから自己肯定感が幾分高くなったのか、自己肯定感が高くなったから視野が広がったのか???🤔
わからないけど、
まぁどうでもいいか。
思考ってやつはほんとにどうでもいいことを考えさせようとするものだ💦
引き寄せの法則関連であると、
必ず出てくるのがアファメーションというもの、肯定的宣言とでも言おうかな。
望む現実が叶った形で宣言をする、
例えば視野を広く持ちたいものだと思っているならば、
「私は広い視野でこの世界を見ている!」
など。
早速このファメーションをしてみる。
あーら不思議😅
若干視野が広くなったように感じるのだ。
そして少しいい気分になる。
視野が広くなって、さらに良い気分になれば、
何をするにだって可能性の幅もより広がるというもの。
やっぱり視野は大きく広く持っていたいものだなぁと😌
そんな発見と気づきに嬉しく思う僕なのであった🤗
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コメント
コメント一覧 (2)
その時分からなかったことでも…
そして、途中でやめた本はもう読まなくて良いよと言うメッセージもあるそうです。その本の一行に学びがあった時、その一行為にこの本と出会うと何かの本にかいてありました。
それて良いと…
でも、置いといてまた読むのもまたそれも発見があるかもです。💡
ひでぴん
が
しました