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誰もが知るあのお昼のバラエティ番組
「笑っていいとも!」
あの番組も終わってからもぅ久しく経つね。
別にそれについて書こうと思っていたわけではないのだけど、
ネーミング意図は敢えて無視して、
「笑っていいとも!」って…
「わらってもいいんだよ!」という許容と、
「存分にそうしていいんだよ!」という遠慮なく自由にやりなさい的後押しが合わさったフレーズなんじゃないのかな?🤔
となんとなく思ったのだった。
そういえばなぁ、、、
子供の頃の僕を今振り返ってみると、
何かと周りに許可を求めていたような気がする。
「○○してもいい?」
っていうような感じで…
生きる姿勢の表れみたいなもので、
自主性なし、
それに伴って自信もなし、
だから、
「こうしてみたら?」
と言われれば、なんとなくそれに従ってみたり、
「やっぱりああしてみたら?」なんて言われたら、
僕もまたそれに合わせてそれになびくというような…
自由奔放に自分の人生を生きていなかった。
まぁそれはそれで、
自分の行動に責任を取りたくなかったのか、
他人の意見になびくこと、それが楽だと思っていたのか、
今となっては思い出すことができないが、
実際にはそんな子供時代だったように思う。
しかしそんな子供時代を過ごした僕にも、
その後に、
今思えば不思議なくらい、
自信満々な時代もあったのだ。
「もう俺はなんでもできる!」って😆
あれは自信というより、過信に近かったのかもしれないが、実際にそういうふうに思っていたのは確かなことだった。
言ってみると、
理由のない確信みたいな…
そんなふうに自信満々で、
世間的に言うブイブイいわせていた頃😅
のこと、
高校時代の同窓会があった。
僕自身は、
「どう?変わった僕を見てみなさい!😌」
という意識は全くなかったつもりだが、
高校生時代の僕とはあまりに違う佇まいや、言動が、自信満々さを滲み出させていたようで。
それが不快に思われたのかな?
「ひでぴん君ってそんなんじゃなかったよね…😅」
「何か変わったね😒」とか、
「なんかその自信にあふれてるところがムカつく😕」
とか言われた覚えがある。
旧友らのそれら反応にその時は、
ふーん、そうか…
人は、他人には変わって欲しくないものなのか🤔って、思って、
その時はその時で僕自身は自然な振る舞いだと思っていたのだが、僕はこうであってはならないのかな?なんて、
そんな思いがしてきて、
なぜだかひるんでしまった。
子供の頃の、過去のトラウマみたいなものが、
顔をもたげたようで…
しばらく、自分のあり方について悩んでしまった。
しかし考えてみれば…
誰に遠慮して生きなければいけないわけではない。ましてや僕の過去のイメージしか想像できないような人たちに。
いちいち他人にとやかく言われる筋合いも無いのだ。
現状に満足して生き生きとしているのがなぜ悪い?
変化の質にもよるかもしれないが、
変化した他人を見て不快に思うのは、
変わりたいのに変われない自分を認識し、
それが惨めなものだから、
いわゆるひがみみたいなものの一種なのかな?
そう思ったのだった。
人は変わってもいいんだよ。
誰にも遠慮する必要なんかないんだ。
ということで、
変化することに躊躇している人に
「変わっていいとも!」
と言いたい。
実は、僕はいま、
心底自分の人生を変えたいと思っている。
ついこの間まで、
自分が変われない理由をいろいろ、あれこれと探していたのだったが、
そんなふうに足踏みしている自分に叱咤激励の意味合いも込めて、
自分へのメッセージ。
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誰もが知るあのお昼のバラエティ番組
「笑っていいとも!」
あの番組も終わってからもぅ久しく経つね。
別にそれについて書こうと思っていたわけではないのだけど、
ネーミング意図は敢えて無視して、
「笑っていいとも!」って…
「わらってもいいんだよ!」という許容と、
「存分にそうしていいんだよ!」という遠慮なく自由にやりなさい的後押しが合わさったフレーズなんじゃないのかな?🤔
となんとなく思ったのだった。
そういえばなぁ、、、
子供の頃の僕を今振り返ってみると、
何かと周りに許可を求めていたような気がする。
「○○してもいい?」
っていうような感じで…
生きる姿勢の表れみたいなもので、
自主性なし、
それに伴って自信もなし、
だから、
「こうしてみたら?」
と言われれば、なんとなくそれに従ってみたり、
「やっぱりああしてみたら?」なんて言われたら、
僕もまたそれに合わせてそれになびくというような…
自由奔放に自分の人生を生きていなかった。
まぁそれはそれで、
自分の行動に責任を取りたくなかったのか、
他人の意見になびくこと、それが楽だと思っていたのか、
今となっては思い出すことができないが、
実際にはそんな子供時代だったように思う。
しかしそんな子供時代を過ごした僕にも、
その後に、
今思えば不思議なくらい、
自信満々な時代もあったのだ。
「もう俺はなんでもできる!」って😆
あれは自信というより、過信に近かったのかもしれないが、実際にそういうふうに思っていたのは確かなことだった。
言ってみると、
理由のない確信みたいな…
そんなふうに自信満々で、
世間的に言うブイブイいわせていた頃😅
のこと、
高校時代の同窓会があった。
僕自身は、
「どう?変わった僕を見てみなさい!😌」
という意識は全くなかったつもりだが、
高校生時代の僕とはあまりに違う佇まいや、言動が、自信満々さを滲み出させていたようで。
それが不快に思われたのかな?
「ひでぴん君ってそんなんじゃなかったよね…😅」
「何か変わったね😒」とか、
「なんかその自信にあふれてるところがムカつく😕」
とか言われた覚えがある。
旧友らのそれら反応にその時は、
ふーん、そうか…
人は、他人には変わって欲しくないものなのか🤔って、思って、
その時はその時で僕自身は自然な振る舞いだと思っていたのだが、僕はこうであってはならないのかな?なんて、
そんな思いがしてきて、
なぜだかひるんでしまった。
子供の頃の、過去のトラウマみたいなものが、
顔をもたげたようで…
しばらく、自分のあり方について悩んでしまった。
しかし考えてみれば…
誰に遠慮して生きなければいけないわけではない。ましてや僕の過去のイメージしか想像できないような人たちに。
いちいち他人にとやかく言われる筋合いも無いのだ。
現状に満足して生き生きとしているのがなぜ悪い?
変化の質にもよるかもしれないが、
変化した他人を見て不快に思うのは、
変わりたいのに変われない自分を認識し、
それが惨めなものだから、
いわゆるひがみみたいなものの一種なのかな?
そう思ったのだった。
人は変わってもいいんだよ。
誰にも遠慮する必要なんかないんだ。
ということで、
変化することに躊躇している人に
「変わっていいとも!」
と言いたい。
実は、僕はいま、
心底自分の人生を変えたいと思っている。
ついこの間まで、
自分が変われない理由をいろいろ、あれこれと探していたのだったが、
そんなふうに足踏みしている自分に叱咤激励の意味合いも込めて、
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