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ふと、
中学の頃の記憶がよみがえった。
ずいぶん長いこと忘れていたようなことだ。
休み時間にみんなと一緒に遊ばない子、
それが僕だった。
傍目にどのように映っているかなど、
僕は気にはしていなかった。
が…担任は、
僕が孤立しているのではないか?
と心配したのだろう、
クラスの男子何人かに声をかけて、
昼休みに僕を誘ってくれと、
耳打ちしたらしい。
なぜか急に、
昼休みに誘われるようになった僕は、
「え?なんなの?」
と不思議に思ったのだった。
誘われたので、
仕方なく😅
昼休みに外に出て、
お付き合い的に遊んだ。
ある時、
個人面談なる機会があった時、
担任から、
最近は休み時間にみんなと遊ぶようになった…
みたいなことを言われた時に、
ピンときた。
あぁ😒
あのお誘いは担任のさしがねだったのか…ってね。
実際のところ、
昼休みのお誘いは僕にとっては、
嬉しいお誘いではなかった。
むしろ、迷惑なお誘いだった。
なぜかというと、
昼休みのお誘いでは、
「めちゃ当て」という、
ライン区画もなく決まりも何もないドッジボールのような遊び。
バレーボールを持ったら誰かれ構わず当てに行くのだ。ボールを持たないものは逃げまくる。
あ、ちなみに僕はどちらかといえば球技が嫌いで、
中でもドッジボールが大嫌いだったのだ。
ドッジボールのような球技は野蛮だと思っていたし…
だから、
誘ってくれた彼らは純粋にその遊びを楽しんでやっていて、
かつ、なんの悪意もないし、
むしろ担任の頼みを聞いてひと肌脱いでくれた優しい奴らなのだ。
そんな彼らには悪いが、
嫌いなものは嫌い(その遊び)なので、
次第にまたフェイドアウトするように昼休みには外に出なくなった。
担任からしたら、
また孤立したか…
と思ったかも知れなかったが💦
僕は、ただ昼休みに寝たかったのだ。
深夜までラジオ聴いていたから寝不足で…
それを補うために睡眠をとる、
ときになにをするでもなくボーっとするなど、
そうしたくてしていただけのこと。😅
いろいろ気遣った結果だろうし、
慮ってくれたのだろう担任には怒りの気持ちはなかったが、
深夜までラジオを聴いていることを正直に言わなかったかも知れないが💦
一言自分に声かけて欲しかったな。
なんてね…
休み時間には友達と遊ぶ。
これが理想?
担任が思う、生徒の健全な在り方だったのかな?
「であるべきこと」
はみんな各々持っているし、
また各々のそれは違うのだ。
だから時に、
善かれと思うことも、
相手にはかえって迷惑だったり、、、
自分の価値観が世界共通のような視点にたまになってしまうこともあるが、
人の持つ価値観、観点の違いは当然のことだ、
というスタンスはいつも持ちあわせていなくては!
と思うのだ。
いじめを見て見ぬふりをする教師もいる中、
休み時間の生徒のことまで気遣ってくれていたのだと思うと、
いまさらながら有り難い氣持ちになる。
思えば、
あの頃から僕は、
「一人」が好きだったんだな。
その姿は他人には「らしからぬ」姿に見えていたんだろうな。
いまや「多様性」という言葉が、
世の中に受け容れられている時代だが、
それでもまだまだ幅の広い意味での多様性は認められていないように感じる。
であるべきこと、
なんてないのだ。
それは単に価値観の押しつけだったりするのだよ。
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中学の頃の記憶がよみがえった。
ずいぶん長いこと忘れていたようなことだ。
休み時間にみんなと一緒に遊ばない子、
それが僕だった。
傍目にどのように映っているかなど、
僕は気にはしていなかった。
が…担任は、
僕が孤立しているのではないか?
と心配したのだろう、
クラスの男子何人かに声をかけて、
昼休みに僕を誘ってくれと、
耳打ちしたらしい。
なぜか急に、
昼休みに誘われるようになった僕は、
「え?なんなの?」
と不思議に思ったのだった。
誘われたので、
仕方なく😅
昼休みに外に出て、
お付き合い的に遊んだ。
ある時、
個人面談なる機会があった時、
担任から、
最近は休み時間にみんなと遊ぶようになった…
みたいなことを言われた時に、
ピンときた。
あぁ😒
あのお誘いは担任のさしがねだったのか…ってね。
実際のところ、
昼休みのお誘いは僕にとっては、
嬉しいお誘いではなかった。
むしろ、迷惑なお誘いだった。
なぜかというと、
昼休みのお誘いでは、
「めちゃ当て」という、
ライン区画もなく決まりも何もないドッジボールのような遊び。
バレーボールを持ったら誰かれ構わず当てに行くのだ。ボールを持たないものは逃げまくる。
あ、ちなみに僕はどちらかといえば球技が嫌いで、
中でもドッジボールが大嫌いだったのだ。
ドッジボールのような球技は野蛮だと思っていたし…
だから、
誘ってくれた彼らは純粋にその遊びを楽しんでやっていて、
かつ、なんの悪意もないし、
むしろ担任の頼みを聞いてひと肌脱いでくれた優しい奴らなのだ。
そんな彼らには悪いが、
嫌いなものは嫌い(その遊び)なので、
次第にまたフェイドアウトするように昼休みには外に出なくなった。
担任からしたら、
また孤立したか…
と思ったかも知れなかったが💦
僕は、ただ昼休みに寝たかったのだ。
深夜までラジオ聴いていたから寝不足で…
それを補うために睡眠をとる、
ときになにをするでもなくボーっとするなど、
そうしたくてしていただけのこと。😅
いろいろ気遣った結果だろうし、
慮ってくれたのだろう担任には怒りの気持ちはなかったが、
深夜までラジオを聴いていることを正直に言わなかったかも知れないが💦
一言自分に声かけて欲しかったな。
なんてね…
休み時間には友達と遊ぶ。
これが理想?
担任が思う、生徒の健全な在り方だったのかな?
「であるべきこと」
はみんな各々持っているし、
また各々のそれは違うのだ。
だから時に、
善かれと思うことも、
相手にはかえって迷惑だったり、、、
自分の価値観が世界共通のような視点にたまになってしまうこともあるが、
人の持つ価値観、観点の違いは当然のことだ、
というスタンスはいつも持ちあわせていなくては!
と思うのだ。
いじめを見て見ぬふりをする教師もいる中、
休み時間の生徒のことまで気遣ってくれていたのだと思うと、
いまさらながら有り難い氣持ちになる。
思えば、
あの頃から僕は、
「一人」が好きだったんだな。
その姿は他人には「らしからぬ」姿に見えていたんだろうな。
いまや「多様性」という言葉が、
世の中に受け容れられている時代だが、
それでもまだまだ幅の広い意味での多様性は認められていないように感じる。
であるべきこと、
なんてないのだ。
それは単に価値観の押しつけだったりするのだよ。
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