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人の体験する現実は、
「気分」
によって創られる。
だから、いかに自分の気分をコントロールして、
心地よい状態でいるか、
は大事になってくる。
そして、最近取り入れた観点で、
同じ時を過ごすのであれば、
豊かな時間を過ごす。
ということを意識し始めたのだ。
さて、、、
通勤に関する話、
なかなかにせっかちな性格の僕は、
目的の駅に到着する前から、
いかに他人より先に自分が早く降車できるか、
準備し、我先にと改札に向かっていくタイプだったりする😅
ホームから改札へ向かう間の階段は特に混雑しがち、
あっちから、こっちから来る乗降客でごったがえし、
そのうち、停滞し行列ができる。
だから、我先に…なのだが。
するとどんなことが起きるか…
僕の行く手を遮るように、
モタモタしている人が、
だいたい必ず出てくる。
すると僕は…
「遅っせーな、もたもたしないでさっさと進めよぉ😒」
って、心の中で愚痴ったれつつ、
イライラが始まる。
結局、人の流れが停滞するピークのようなときにイライラしながら、
その時を過ごすのだ。
当然気分なんていいわけがない😓
できるだけ豊かな時間を過ごす、
という観点でみたとき、
普段の僕がやっている事ときたら、
全くその逆を目指すものであり、
体験するものは、当然のごとく逆サイドの現実だ。
昨日の仕事帰り、
家の最寄り駅に降り立った僕は、
やはり我先にと階段を上がろうとしてごった返す人々を尻目に、
いつもとは違う行動をした。
それは、ひとまずホームのベンチに座るという行動。
今、僕が乗っていた電車はすでに出発していったばかりなので、ベンチも空いている。
座っていたといっても、
わずかな時間。
階段に目をやれば、
もう人もまばらだ。
そして腰を上げて、階段を上り改札を抜けた。
いつものように、
人が密集する中をイライラしながらその階段を登るわけでなく、
自分のペースで、悠々と…
そんなふうにして上る階段では、
普段とは違い、
気持ちの余裕はたっぷりだ。
あくまでも対比しての話だけど、
これこそ豊な時間では?🤔
とも思えるのだった。
ベンチに座って人々をやり過ごしていた時間といっても、
本当にたいした時間ではないのだ。
せいぜい1分かそこらくらいのこと。
なんて今までは貧しい時間を過ごしていたのだろう。😅
ちょっとしたことで、
イライラを回避できたではないか。
僕はその大発見に、
思わずニヤニヤしてしまった。😏
きっと世の中大方の人からすれば、
なんだそんなこと?
小っぽけな発見でしょ…
さも大ごとのように😓
って笑われてしまうだろうけど、
僕にとっては結構大きな発見だった。
嫌な気分になるってわかっている事は、
極力回避すればいいだけの話だった。
ずいぶん昔の話にはなるが、
テレビの対談番組かなにかを見ていた、
語り手は笑福亭鶴瓶さんだった。
どんなエピソードを語っていたのかというと、
元横綱の朝青龍が、現役でかつ横綱として活躍していた当時、
その前の場所に怪我をしていた横綱、
負傷した怪我の回復度合いが心配されていた。
鶴瓶も、こんな情報が念頭にあったのか、
思わず横綱に対して、
「横綱、怪我の具合はどうですか?大丈夫なんですか?」
と聞いてしまったそうだ。
すると朝青龍、
「あーあーあー」と、
鶴瓶の質問の声をかき消すようにして、
なおかつ、チョキのハサミを閉じたような手の形で、左右に振り振り、周りの空間を払い始めたのだという。
きっとその時期の朝青龍は、そんな怪我に関する話題を多くの人から持ち出されたのだろう。
そうすれば、おのずと怪我ということに意識が向いてしまう。
意識が向けばどんな気分になるのかはわかるだろう。
自分が意識を向けたものが自分の現実を作り上げる大きな要素になってしまう。
望まない現実など作りたくない横綱は、
相手がそれ以上その話題に触れないようにし、
さらにそのエネルギーを一生懸命払拭していたのだと思う。
その様を見ていた鶴瓶は、これはまずい話題を振ってしまったのだと気づいたそうだ。
勝負師というものは、普段からいかに心の中の想いや、感情を大事にしているのかがよくわかったのだという。
それからは特にアスリートなどに対し、
マイナスの要素のあるものや、否定的な情報に基づいた話題などを振る事は一切やめたそうだ。
自分の心を乱すような外部からの情報に僕らはいつもさらされている。
例えば、連日流される、
ロシア軍の攻撃で子供を含めた罪のない民間人が殺された、
とか、値上げラッシュでこの先どうなってゆくのだろう…
怒りの気持ちが出てきたり、
先々が不安になるね…
こういうニュース、情報に僕らは自分が望まないでいても、
さらされているのである。
昨日はこんなニュースに触れた。
母の運転する自転車の後部子供乗せに座っていた男の子が、転倒の際、
車道に投げ出されてしまい後ろから走ってきたトラックにひかれて亡くなった、
そんな悲惨な事故があったと。
自転車を転倒させてしまったお母さんの、
自責の念や、後悔や、悲しみ苦しみなどを、
僕は思わず想像してしまう。
辛いだろうな、苦しいだろうなという、絶望を超えたその感情、
その共感が、僕の感情を苦しみや苦痛で満たしてしまう。
勝手に想像したのは僕だが、
翻って考えてみれば、
そもそもこの情報は僕が知らなければいけない情報だったのだろうか…
と思ってしまう。
そうすると、ニュースってなんだろう?
人々の心を怒りや不安や悲しみで満たすための
情報発信媒体なのではないか?とさえ思ってしまう。
そもそも論、
そういった情報に耳を貸し、
憤慨せられたり、悲しんだり、不安になったりする義理は無いのだ。
朝青龍がしたように、
僕らは必要のないもの、
自分にマイナスになりそうなものは
シャットアウトしていいのだ。
あらためて気づいたのだけど、
本来、もとから自由なはずなのに…
なんだろう呪縛を強いられていたかのようなこの感じは?
ニュースを観なければ世の中から取り残されてしまう、
とでも思い込まされてきたせいだろうか?
刷り込みだったり、悪く言えば洗脳だったのかもしれない?
そんなふうにも思ってみたりする。
僕は、
心地よさをキープして生きる。
これを心掛けてゆこうかと思っている。
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人の体験する現実は、
「気分」
によって創られる。
だから、いかに自分の気分をコントロールして、
心地よい状態でいるか、
は大事になってくる。
そして、最近取り入れた観点で、
同じ時を過ごすのであれば、
豊かな時間を過ごす。
ということを意識し始めたのだ。
さて、、、
通勤に関する話、
なかなかにせっかちな性格の僕は、
目的の駅に到着する前から、
いかに他人より先に自分が早く降車できるか、
準備し、我先にと改札に向かっていくタイプだったりする😅
ホームから改札へ向かう間の階段は特に混雑しがち、
あっちから、こっちから来る乗降客でごったがえし、
そのうち、停滞し行列ができる。
だから、我先に…なのだが。
するとどんなことが起きるか…
僕の行く手を遮るように、
モタモタしている人が、
だいたい必ず出てくる。
すると僕は…
「遅っせーな、もたもたしないでさっさと進めよぉ😒」
って、心の中で愚痴ったれつつ、
イライラが始まる。
結局、人の流れが停滞するピークのようなときにイライラしながら、
その時を過ごすのだ。
当然気分なんていいわけがない😓
できるだけ豊かな時間を過ごす、
という観点でみたとき、
普段の僕がやっている事ときたら、
全くその逆を目指すものであり、
体験するものは、当然のごとく逆サイドの現実だ。
昨日の仕事帰り、
家の最寄り駅に降り立った僕は、
やはり我先にと階段を上がろうとしてごった返す人々を尻目に、
いつもとは違う行動をした。
それは、ひとまずホームのベンチに座るという行動。
今、僕が乗っていた電車はすでに出発していったばかりなので、ベンチも空いている。
座っていたといっても、
わずかな時間。
階段に目をやれば、
もう人もまばらだ。
そして腰を上げて、階段を上り改札を抜けた。
いつものように、
人が密集する中をイライラしながらその階段を登るわけでなく、
自分のペースで、悠々と…
そんなふうにして上る階段では、
普段とは違い、
気持ちの余裕はたっぷりだ。
あくまでも対比しての話だけど、
これこそ豊な時間では?🤔
とも思えるのだった。
ベンチに座って人々をやり過ごしていた時間といっても、
本当にたいした時間ではないのだ。
せいぜい1分かそこらくらいのこと。
なんて今までは貧しい時間を過ごしていたのだろう。😅
ちょっとしたことで、
イライラを回避できたではないか。
僕はその大発見に、
思わずニヤニヤしてしまった。😏
きっと世の中大方の人からすれば、
なんだそんなこと?
小っぽけな発見でしょ…
さも大ごとのように😓
って笑われてしまうだろうけど、
僕にとっては結構大きな発見だった。
嫌な気分になるってわかっている事は、
極力回避すればいいだけの話だった。
ずいぶん昔の話にはなるが、
テレビの対談番組かなにかを見ていた、
語り手は笑福亭鶴瓶さんだった。
どんなエピソードを語っていたのかというと、
元横綱の朝青龍が、現役でかつ横綱として活躍していた当時、
その前の場所に怪我をしていた横綱、
負傷した怪我の回復度合いが心配されていた。
鶴瓶も、こんな情報が念頭にあったのか、
思わず横綱に対して、
「横綱、怪我の具合はどうですか?大丈夫なんですか?」
と聞いてしまったそうだ。
すると朝青龍、
「あーあーあー」と、
鶴瓶の質問の声をかき消すようにして、
なおかつ、チョキのハサミを閉じたような手の形で、左右に振り振り、周りの空間を払い始めたのだという。
きっとその時期の朝青龍は、そんな怪我に関する話題を多くの人から持ち出されたのだろう。
そうすれば、おのずと怪我ということに意識が向いてしまう。
意識が向けばどんな気分になるのかはわかるだろう。
自分が意識を向けたものが自分の現実を作り上げる大きな要素になってしまう。
望まない現実など作りたくない横綱は、
相手がそれ以上その話題に触れないようにし、
さらにそのエネルギーを一生懸命払拭していたのだと思う。
その様を見ていた鶴瓶は、これはまずい話題を振ってしまったのだと気づいたそうだ。
勝負師というものは、普段からいかに心の中の想いや、感情を大事にしているのかがよくわかったのだという。
それからは特にアスリートなどに対し、
マイナスの要素のあるものや、否定的な情報に基づいた話題などを振る事は一切やめたそうだ。
自分の心を乱すような外部からの情報に僕らはいつもさらされている。
例えば、連日流される、
ロシア軍の攻撃で子供を含めた罪のない民間人が殺された、
とか、値上げラッシュでこの先どうなってゆくのだろう…
怒りの気持ちが出てきたり、
先々が不安になるね…
こういうニュース、情報に僕らは自分が望まないでいても、
さらされているのである。
昨日はこんなニュースに触れた。
母の運転する自転車の後部子供乗せに座っていた男の子が、転倒の際、
車道に投げ出されてしまい後ろから走ってきたトラックにひかれて亡くなった、
そんな悲惨な事故があったと。
自転車を転倒させてしまったお母さんの、
自責の念や、後悔や、悲しみ苦しみなどを、
僕は思わず想像してしまう。
辛いだろうな、苦しいだろうなという、絶望を超えたその感情、
その共感が、僕の感情を苦しみや苦痛で満たしてしまう。
勝手に想像したのは僕だが、
翻って考えてみれば、
そもそもこの情報は僕が知らなければいけない情報だったのだろうか…
と思ってしまう。
そうすると、ニュースってなんだろう?
人々の心を怒りや不安や悲しみで満たすための
情報発信媒体なのではないか?とさえ思ってしまう。
そもそも論、
そういった情報に耳を貸し、
憤慨せられたり、悲しんだり、不安になったりする義理は無いのだ。
朝青龍がしたように、
僕らは必要のないもの、
自分にマイナスになりそうなものは
シャットアウトしていいのだ。
あらためて気づいたのだけど、
本来、もとから自由なはずなのに…
なんだろう呪縛を強いられていたかのようなこの感じは?
ニュースを観なければ世の中から取り残されてしまう、
とでも思い込まされてきたせいだろうか?
刷り込みだったり、悪く言えば洗脳だったのかもしれない?
そんなふうにも思ってみたりする。
僕は、
心地よさをキープして生きる。
これを心掛けてゆこうかと思っている。
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コメント
コメント一覧 (2)
私もネガティブを吸収しすぎるので、心地よさをキープするようにしたいと思いました。
ひでぴん
が
しました