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今日も秋らしい爽やかな天候の一日でした。
さて、
先日の記事(すぐ下のリンク)で取り上げた、ノーベル物理学賞を受賞された真鍋淑郎氏の話題。
真鍋氏が日本に帰りたくないという理由。
それがずぅっと頭に残っていて、
じつはあれから、
ずいぶん考えさせられてしまった。
もう一度引用して記載してみたい。
真鍋氏が、どうしてアメリカ国籍に変えたのか?という記者の質問に対しての答えだ。
「日本では、他人を傷つけないようにお互いに氣を使います。
米国では、他人の気持ちを氣にする必要がありません。
私も他人の気持ちを傷つけたくはありませんが、同時に私は他の人のことを監視したくはありません。
私は他の人のことを気にすることが得意ではない。
アメリカでの暮らしは素晴らしいと思っています。
おそらく、私のような研究者にとっては。好きな研究を何でもできるからです。」
「私はまわりと協調して生きることができない。それが日本に帰りたくない理由の一つです」
とのこと。
真鍋氏は、自分の好きな事が日本にいてはできないと分かったのだ。
やりたいことをするためにアメリカにいて、
日本になど帰りたくないと言い切っているのだ。
ちゃんと理由を挙げている。
これは真鍋氏に限ったことではなく、
実は自分も、この国にいてはやりたいことができないと思っている人も少なからずいるのだと思うのだ。
とくにこの国、日本は、
昔に比べればだいぶ変化の兆しはあるとは言え、
協調性が重んじられる風潮だということはだれでもわかると思う。
みんなで…協調して…が大事。
学校教育でもそうでしょ?
大方の人はそう思い込まされている
言い方を変えるとスタンドプレイをするとすごく目だつ。
そうするとそれが悪であるかのように全力で潰しにかかる多勢。
出る杭は打たれる。
また違う言い方をすると、
平均的でなければならないのだ。
出る杭にならないようにそこそこセーブしながら目だたないように、
そして頃合いを見計らうとか。
他人の顔色を窺いながらとか…
そんな風に面倒くさい駆け引きのようなことをしながら、
そうしてうまくやって自分の望みを実現していくような社会だったりしない?
その言葉を聞いたときには、
そうかぁ、
疲れるなぁ日本って。
こんなふうに思ったよ、正直。
でも、そんなこと言っていたって、
はじまらない。
それより、僕が真鍋氏の言葉で考えさせられ、
氣付いたのは、
協調することが大事だと信じてなにも疑わなかった自分がいたということだ。
裏返して、和を乱さない。
他者のための自己犠牲は美しいこと。
そんなことを信じ、
生きてきたのだ。
こういった信念を持つがゆえに、
自分自身に条件反射的に制限をかけてきた。
でも、今は…
そうじゃなくてもよくない?
ってちょっと思えてきた。
なんか見えない呪縛から解かれたような、
ある種そんな氣分なのだ。
去年、コンサルティングを受けた際に、
「あなたがなんの制限もないとしてすぐにやってみたいことはなんですか?」
って聞かれて、
考えても考えても、
なかなか答えが出てこなかったことを思い出した。
自己呪縛は、
諦めの心境にとどまらせ、
希望を持つことさえ自分にゆるさなかったということだ。
手枷足枷がはめられていたことにすら気付かないでいたらしい。
日本の教育のたまもの?
なんてちょっとだけ思ってしまう。
みんな苦しいのだから、
と、自分まで一緒に苦しくなることを甘受できる、
そんな国民なら、
支配者は本当に楽で楽でしかたがないだろうね。
まぁ、今回、
一つの観点としてでも、
協調協力が至上命題ではないというふうに思えただけでも、
僕にとっては良かったのだと思う。
だからといって掌返したように振る舞おうなどとは思わない。
協調協力、和をもって…も大事なことだと分かっている。
そんなことも踏まえつつ、
きっと今までよりは、
考えかたに幅を持たせることができるのではないか?
と思っている。
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今日も秋らしい爽やかな天候の一日でした。
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先日の記事(すぐ下のリンク)で取り上げた、ノーベル物理学賞を受賞された真鍋淑郎氏の話題。
真鍋氏が日本に帰りたくないという理由。
それがずぅっと頭に残っていて、
じつはあれから、
ずいぶん考えさせられてしまった。
もう一度引用して記載してみたい。
真鍋氏が、どうしてアメリカ国籍に変えたのか?という記者の質問に対しての答えだ。
「日本では、他人を傷つけないようにお互いに氣を使います。
米国では、他人の気持ちを氣にする必要がありません。
私も他人の気持ちを傷つけたくはありませんが、同時に私は他の人のことを監視したくはありません。
私は他の人のことを気にすることが得意ではない。
アメリカでの暮らしは素晴らしいと思っています。
おそらく、私のような研究者にとっては。好きな研究を何でもできるからです。」
「私はまわりと協調して生きることができない。それが日本に帰りたくない理由の一つです」
とのこと。
真鍋氏は、自分の好きな事が日本にいてはできないと分かったのだ。
やりたいことをするためにアメリカにいて、
日本になど帰りたくないと言い切っているのだ。
ちゃんと理由を挙げている。
これは真鍋氏に限ったことではなく、
実は自分も、この国にいてはやりたいことができないと思っている人も少なからずいるのだと思うのだ。
とくにこの国、日本は、
昔に比べればだいぶ変化の兆しはあるとは言え、
協調性が重んじられる風潮だということはだれでもわかると思う。
みんなで…協調して…が大事。
学校教育でもそうでしょ?
大方の人はそう思い込まされている
言い方を変えるとスタンドプレイをするとすごく目だつ。
そうするとそれが悪であるかのように全力で潰しにかかる多勢。
出る杭は打たれる。
また違う言い方をすると、
平均的でなければならないのだ。
出る杭にならないようにそこそこセーブしながら目だたないように、
そして頃合いを見計らうとか。
他人の顔色を窺いながらとか…
そんな風に面倒くさい駆け引きのようなことをしながら、
そうしてうまくやって自分の望みを実現していくような社会だったりしない?
その言葉を聞いたときには、
そうかぁ、
疲れるなぁ日本って。
こんなふうに思ったよ、正直。
でも、そんなこと言っていたって、
はじまらない。
それより、僕が真鍋氏の言葉で考えさせられ、
氣付いたのは、
協調することが大事だと信じてなにも疑わなかった自分がいたということだ。
裏返して、和を乱さない。
他者のための自己犠牲は美しいこと。
そんなことを信じ、
生きてきたのだ。
こういった信念を持つがゆえに、
自分自身に条件反射的に制限をかけてきた。
でも、今は…
そうじゃなくてもよくない?
ってちょっと思えてきた。
なんか見えない呪縛から解かれたような、
ある種そんな氣分なのだ。
去年、コンサルティングを受けた際に、
「あなたがなんの制限もないとしてすぐにやってみたいことはなんですか?」
って聞かれて、
考えても考えても、
なかなか答えが出てこなかったことを思い出した。
自己呪縛は、
諦めの心境にとどまらせ、
希望を持つことさえ自分にゆるさなかったということだ。
手枷足枷がはめられていたことにすら気付かないでいたらしい。
日本の教育のたまもの?
なんてちょっとだけ思ってしまう。
みんな苦しいのだから、
と、自分まで一緒に苦しくなることを甘受できる、
そんな国民なら、
支配者は本当に楽で楽でしかたがないだろうね。
まぁ、今回、
一つの観点としてでも、
協調協力が至上命題ではないというふうに思えただけでも、
僕にとっては良かったのだと思う。
だからといって掌返したように振る舞おうなどとは思わない。
協調協力、和をもって…も大事なことだと分かっている。
そんなことも踏まえつつ、
きっと今までよりは、
考えかたに幅を持たせることができるのではないか?
と思っている。
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