あぁ、なんて幸せ〜
って思った話。

朝、家を出るとき、
かすかな腹痛を感じながらも、
トイレは済ませたし、
たいしたことないだろ…

という認識で出発したのだったが、

自分の事務所へ向かう道すがら、

次第に腹痛の度合いが強くなってくる…
時を経るごとに、
あ、、、う、、、
こりゃやばいょ、やばいょ😓状態に。

お腹を押さえたり、
もじもじしてみたり、

そんなこんなしながら、
最後は小走りで、歩幅短い小ダッシュ。
やっと事務所に辿り着く。

着くやいなや、
トイレに駆け込み。
あぁ、間に合った。。。

究極の我慢からの開放〜

その時の想いが…

至福の時だった。

我慢しないって、ほんとに幸せなことなのだなぁ!
と、心の底から感じてしまった。

と、
汚い話で申し訳ないけれど、

「我慢しないこと」
は幸せを感じるに、
相当に強い要素なのだと思った。

と同時に、
この至福の時は、あの我慢があってこそ得られた体験であって…
「我慢」と「開放」はセットともいうべきものなのかも知れないと思ったのだった。

あくまでも今朝の経験から想起した、
思考の断片に過ぎない…

今自分が我慢しているものや、制限を強いているものを、
やめたり、取りはらったりしていったら、
幸せを感じる機会が多くなるのでは?と漠然と考えていたのだけど…
反面、
もろもろの開放、我慢をことごとくやめていったら、いずれ至福経験もなくなってしまうのでは?
なんていう考えも出てきた。

いやいや、これは本末転倒。
普通に考えておかしい。。。

幸せを感じるには前提として我慢することが必用。
のようになってしまう?

もの事は表裏一体、という点では納得いくが。

僕の頭の中で最終的に整理した。
目的と手段みたいな関係に固執しすぎなのだな。
ということだった。

最終的には、
「幸せだ」と、自分が感じることにあり、
そう思えるための手段など、決め打ちできるわけでもない。

それに先々のことを先回りして心配する必用などあるのか?という想いも出てきた。

ん?なんか我に返る。

さらに氣付いたのは、
もうけっこう長い時間、
うるさい思考に引き込まれて
いまココにいなかった。
ということだ。

さぁ、
今一度
地に足をつけて。
っていう氣分になってきた。



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