今朝、
目覚めて一番にTwitterで目にした、
そのツイートがこれだった。

なんとも、微笑ましい。😄



そして、

僕が子供の頃から長い間飼っていたチビという猫のことを思い出した。

今朝は、
なんだか、そのチビに
すごく会いたくなった。

僕は大学を卒業し就職して数年後、

とあるきっかけ💦で、
一人暮らしをするために実家を出た。

猫は実家においてきた。
車で20分30分の距離だったので、
結構頻繁に実家には行った。

僕が帰るのをいつも待っていて、
家族の誰よりも、
僕の帰りを熱烈歓迎してくれた😅

家族の話では、
僕の車のエンジン音をちゃんと聞き分けるのだそうだ。僕の車だと分かったら、もうそわそわしちゃって大興奮。

普段は、
ブラインドの隙間に無理に頭を突っ込んで外を眺めながら僕の帰りを待っていたという。

今更ながら、
「ごめんね…」
もう面と向かって言えないけれど…

2003年の6月に向こうの世界に旅立った。
きっと今もまた、類魂へと帰還する前に僕のことを待ってくれていることだろう。

そんな18年前のチビとの別れ、

そして出会いから最期まだを綴った文章が見つかった。
もうかなりの年月が経つのにこんな思いになったのにもきっと何かの意味があるのだろう。
このブログにあらためて載せておこうかと思った。

2006.6月の手記より
『チビとの別れ』

(出逢い)
 あの日は昭和57年8月20日木曜日、真夏の日差しの照りつけるとても暑い日だったね。いまから21年前の夏休み中のこと、僕は14歳。中学1年生で部活の練習を終え家へと帰る道すがら、子供がキャッキャと叫ぶ声に混じって、「ミャーミャー」となく子猫の声を聴いた。ん?どうしたんだろう…と近くに行ってみてみると、透明の大きなビニール袋に入れられた5〜6匹の子猫が大きな声でないていた。子供達に猫たちをいじめないように言い、こんな炎天下でビニールの中に入れられて放っておいたら死んでしまうとかわいそうなので、とりあえず袋から出してあげ、頭の中では家に連れて行ってあげたいけれど、連れて行ったら怒られるんだろうな…などとおもいつつその場をあとにした。
 家に帰ると、5歳年下の弟が一人で居た。「さっきさぁ、帰り道で子猫が捨てられていて、それもビニール袋に入れて捨ててあったんだ。」「袋からは出しておいたんだけど、今頃どうなっているんだか…」というような話を弟にした。
すると特に猫好き(我が家は母兄弟ともみんな猫が好きだったんです。)の弟はいてもたってもいられない感じで、「じゃ見に行ってくるよ!」「場所がわからないから一緒に行って!」と。
僕の頭の中には、こりゃ弟が家に連れて帰ることになるな…なんて思っていた。
 さて、さっきまで子供達が騒ぎ、子猫の声の響き渡っていたその場所は、閑散としていた。道には子供の影すらなく、透明のビニール袋が風に動かされていた。「あれぇ?いなくなっちゃったね。さっきまでは5〜6匹いたんだけど…」
残念そうにしている弟をよそめに、周囲のあちらこちらを探していると、突然「ミャーミャー」と精一杯の力でなく声を聴いた。どこだぁ?すると、民家の玄関口へ上がるために置いてあるL字型コンクリートの裏側に1匹だけいたのだった。弟は一目散に駆け寄り、子猫の小さな身体を抱き上げてTシャツの中に入れた。さぁこれからが大変。子猫を連れて家に帰るんだけど、子猫の鳴き声たるや手のひらにのるくらい小さな身体とは思えないくらいにすごかったのだ。
弟と2人で駆け足で帰った。
あらためて、家に連れて帰ってみると、本当に生後数日しか経っていないようだった。まだ歩けないし、オシッコやウンチも自分ではできない。(ちなみに小さいうちの子猫は親猫にオシリを舐めてもらったりしてその刺激で排泄するんです。)
出かけていた母が帰ってきたら、「面倒見られないからダメ!」「インコがいるから今は猫はダメ!」と言われるのが目に見えていた。そして、その時外は夕立ですごい量の雨が降っていた。
 母が帰ってくると、案の定…だった。でも僕らはねばった。「こんな雨の中外に出したら死んじゃうよ。」
猫好きの母ですから、じゃぁ雨が止むまで家においてあげようということに。
しかし雨は止まなかった。台風が来たのだ。
こうして外に出すきっかけがなくなって、猫好きの家族ですから、とうぜん子猫に愛着も湧いてくる。こうして子猫は我が家に飼われることとなった。本当に小さかった。安易な展開だが「チビ」と名付けた。 

(共に暮らした日々)
 子猫用の粉ミルクを買って、子猫用のほ乳用乳首をかって飲ませたり、ガーゼでオシリを刺激して排泄させたり。子供の頃から猫を多く飼ってきた母はいろいろ知っていた。
チビは日々成長していった。そしてすでに家族の一員となっていた。
 その後我が家には、チビの他にもだんだんと猫たちが増えていったのであった。
猫にもそれぞれ性格があり、そんな家族達との暮らしは平穏なものだった。
チビは病気らしい病気もあまりすることなく元気に過ごしていた。そんなチビの性格は、あまり他の猫たちとは連まない、どちらかといえば一匹狼的な感じだった。
そのうちチビは他の猫たちと一緒にいることが嫌なようで、僕の部屋で暮らすようになった。その後、部屋をかえたり、家を建て替えたりしても、チビはなぜかいつでも僕の部屋に居着いた。
こんなチビとの日々は、まさに同居生活。
嬉しい楽しいことも、悲しかったこと、辛かったことも一緒に体験してきた。
八つ当たりもした。おまえなんか出て行けと部屋から追い出したこともあった。
それでもチビは僕の部屋の戸を一生懸命に開けて入ってこようとした。そして入れてあげた。
そうするとチビは嬉しくてね、精一杯の表現なのだろう、ゴロゴロのどを鳴らして寄ってきて顔を舐めてくれた。
僕もチビが好きだったし、チビも僕のことが好きだった。
こうして僕は中学、高校、大学とチビと同じ部屋で過ごした。その間には彼女も何人かできて、僕の部屋に連れてくることもあった。
ヤキモチ焼きのチビは自分以外の女性?に僕が目を向けるのがいやだったらしく、その僕の彼女らほぼ全員が、ひっかき傷をつくるという被害にあった。(笑)

(しばしの別居生活)
そんな僕も就職してまぁまぁ充実した日々を送っていた。就職2年目のある日僕は家を出た。
その当時真剣に結婚までを考えていた彼女と破局し、何もかも嫌になっていた。その彼女とも思い出深いその部屋は、彼女を失った当時の自分にはそこの空気を吸うことさえ苦痛だった。
こうして僕の一人暮らしが始まった。この時チビはそのまま部屋に置いていった。
そして、荒んだ気持ちの生活をしていた自分の現れか、僕と家族の間には心の溝ができていった。
仕事が休みの土日どちらかの日には、僕は車をとばしてチビに会いに行った。
家族には顔も合わせないでチビにだけ会いに行ったこともあった。
こうして、チビにとっては週に一度の僕を待つだけの生活が始まった。
実家の僕の部屋は1階で、道路に面した場所にあり、外から玄関を経由せず直接部屋に入れた。また部屋の出窓からは道路の様子が一望できた。
母の話によると、チビは僕が家を出て行ってからというもの、いつも出窓のところに座り外を見ていたという。来る日も来る日も僕が来るのを待って。
 チビはもうそんな暮らしをずいぶんしていたので、僕の車のエンジン音さえも覚えていて、僕が家から少し離れたところに車を停めるもうそれで、僕が来ることを予見してうれしさのあまりあっちへウロウロ、こっちへウロウロ。爪を研いだり、出窓に駆け上がったり降りたりしていたそうで…
僕はこうして週一回、チビに会いに行った。こんな日々が、7〜8年間続いた。

(近くでの生活)
父が亡くなった後、実家の家を建て替えることになった。
僕が現在暮らしている家は母の実家の敷地内にある家。そして、母は数匹の猫たちと共に、自分の実家に移ってきた。とうぜんチビも一緒に。
こうして、同じ屋根の下ではないが同じ場所に再びチビと暮らすことになった。母は他の猫たちも一緒に愛情深く面倒をみている。
こんどは毎日チビの顔を見に、隣の母の暮らす家を訪ねた。
この時のチビの年齢は15〜16歳。猫の歳ではかなりの高齢になった。
健康だったチビも時々調子悪くなったりもした。
僕は31の年に結婚したのだが、その結婚式数日前からチビは調子を崩していて、とくに式当日は命も危ういような状態で、僕としては式の最中もとても気がかりでいたし、早く帰りたいと思っていた。ですから、式の後には夫婦でゆっくりとかそんなことないまま家へと一目散で帰った。
その後チビも持ち直し、結婚しても、僕に子供ができても、ほぼ毎日隣家のチビに会いに行った。そのうち、うちの子供も一緒にチビのもとを毎日訪ねるようになった。僕と娘の食後の日課になった。
いまから4年前くらいから、チビはめっきりと弱ってだんだん痩せていった。腰を痛めたことをきっかけに思うように歩けなくなったが、チビはチビなりに一生懸命に歩く訓練をしていた。そうしている日々はすぎ、やはり高齢ということもあり食が細くなって、自分では食べられなくなっていった。母は動物病院や知り合いから情報を得て、少量でも栄養価の高い高カロリーの食事を与えるようになった。それも、自分では食べられないので、注射器容器にエサを詰めて直接口に入れて与えるというとんでもなく手間も時間もかかる作業を日に何度も小分けにしてやっていた。さらに水も自分からは飲めなくなり、ほ乳瓶で水を与えた。こうしてもうここ数年はチビ中心の生活が続いていた。母はもう本当に献身的にやってくれていた。動物病院の先生や母の友人達は母のことを誰もが本当にすごい!といっていた。
また、チビは便秘で便が出なくなって、便を出しに動物病院へ通うこととなったのだが、医者の出す薬も効果がなく困っていた。医者は諦めたようなことを言う。しかし母は諦めなかった。近くにある漢方薬局に相談して漢方薬を調剤してもらい
見事に便秘を解消させた。
そうした献身的な母にこたえるようにチビは一生懸命に食べ、懸命に歩こうとした。本当に頑張る姿をみんなに見せてくれていた。
こうしてこのような日々が続き数年が経っていった。
もうすでにチビは目が見えなくなっていたようだ。
数ヶ月前から、脳のなんらかの要因で眼振という症状(眼球が左右に揺れてしまう)が出てきて、チビは立ち上がれなくなった。この症状は目が回る状態で気分も相当悪いということで可哀相だからと、動物病院の医師からは安楽死まで勧められたという。母は長年共に暮らしてきてそんな別れはしたくないと、他の獣医さんに相談したりした。何回か試行錯誤しながら薬を試し、たまたま合う薬が見つかって、眼振の症状は治まった。その後もおさまったりはじまったりを繰り返した。
最近ここ数日は落ち着いているように見えた。
 6月29日いつものように娘とチビの下を訪れ、「じゃぁチビ、また明日元気で合おうね!」といって自分の家に戻った。
午後11時過ぎ、母から電話があり、「なんだかチビの息づかいがおかしいようなんだけど…」と。すぐに駆けつけた。やはり息づかいが変だ。ぐったりしているようだし。
「チビがんばって!」と二人で声をかけ励ました。しばらく抱いていて落ち着いたようだった。すでに深夜1時を過ぎていた。「明日もあることだから寝なさいよ。チビは私がみてるから」と母。そして家に戻った。
寝付けないまま布団に入っていると今度は2時過ぎに「もうダメかもしれない。血の塊のようなものを吐いちゃったの。」と母からの電話があった。またすぐに駆けつけた。
チビは苦しそうな息をしていた。撫でたりしていたがおさまらず、再び吐きそうになり、喉に詰まってはいけないと起こしてあげた。また血混じりのものを吐いた。それがチビにとっては最後の精一杯の残りの力だったのだろう。胸に抱いてあげた。そのまま息を引き取ってしまった。平成15年6月30日3時19分永眠。チビ21歳10ヶ月10日の一生の終わった最後の瞬間だった。
人間の年で言えば104〜105歳だそうだ。
そのとき僕は不思議と涙が出なかった。

しかしいまこうしてチビとの思い出を振り返ってる時に涙があふれ止まらない。
いろいろな思い出が次から次へと頭の中に浮かぶ。

はじめてチビに逢ったのは暑い日だったね。
ラーメンも好きだったっけ。ハムとかチーズもね。ビールやお酒なんかも飲んだよね。
暑い日も寒い日も、辛かった時も楽しかった時も一緒に過ごしたあの部屋。
僕が落ち込んでいる時には、気持ちを察してやさしく舐めてくれたね。
寒い日は一緒のベッドで寝たね。
そうそう、ちゃんとトイレで用を足したし、した後は自分で水を流したんだよね。エライ!と褒めてあげたよね。
あの時は待つだけの寂しい思いをさせてゴメンね。
僕のことを好きでいてくれてありがとう。
最後まで頑張る姿をみせてくれてありがとう。
長い間ありがとう。お疲れ様。どうか安らかに。

僕の人生の半分以上を共に過ごしてきたチビ。
猫といったって家族と同じ。22年もの付き合いだったんだもの。
あの時僕は14歳、母は40歳。チビと暮らした22年、ずいぶんと時は経ったようだ。
僕の思春期、青年期と過ごし、今や妻や子供もいる。
ほんとうに長い間の付き合いだったんだ。

 ある人はたかが猫一匹が死んだだけ。と思う人もいるだろう。
最近私の住む東京板橋区の公園で頭にボウガンの矢が刺さり頭蓋骨を貫き脳にまで達する負傷をした猫が発見された。僕と同じ人間のしたことなんだけど狂気の沙汰だよ。
動物愛護に関する法や条例などもできているこの頃ではあるけれど、そんな法をつくって取り締まらなければならないことが悲しいことだよね。
『一寸の虫にも五分(ごぶ)の魂(たましい)』
どんなに小さく弱い者でも、それ相応な思慮や意地を持っているものだということ。
人は勝手に強い存在だと思いこみ、傲り高ぶっては好き勝手な事をしていないか。
弱者を情け容赦なく切り捨てるくせに、都合の良い時ばかり自分を弱者にして救済しろと叫ぶ。
自分の都合しか考えない行動。そんな行いをしていることに気づかなければならない。こう書いている自分自身にも多分に言えることなのだけど。
 近くの公園には猫が捨てられて、そこで暮らしている。
長年飼っていた猫も、引っ越し先は新築で綺麗な部屋なので、だから猫は邪魔になったと平気でそんなことを言い置き去りにし捨てていく人もいるそうだ。
猫の気持ちやその後は考えてあげられないのだろうか?

私は子供の頃からさまざま動物と共に生活してきて、考えや経験もそれにそってきている。
こういう事にはとても敏感になるし、心が痛くなる。
最近の子を持つ親の中には動物などを毛嫌いし、子供に寄せ付けないようにしている人も少なくないと聞く。
そんな家の子供は、ただ子犬が遊びたくて近づいてくるだけなのに大泣きしたりしている。
その飼い主にもの凄い形相でにらみつける母親。
もちろん人には好き嫌いがあるのでしょうがないことなのだが、自分の子供のことを幅広く考えた場合、私としては子供のうちの動物とのふれ合いや、動物が死ぬことを見ることでの死の意味を考えることなど。 さまざまな大切な要素があるのではないかと思っている。

私は、このような家に暮らしてきて良かったと思っているし、うちの娘にとっても貴重な経験となり良いことだと思っている。
特に猫や動物に愛情深い母にはいまさらながら感謝したい思いだ。

チビの一生と、共に過ごした日々を思いながら…書き記したいと心に強く思いました。

平成15年7月1日 哲学堂動物霊園にて荼毘にふされました。
チビが亡くなった時、その知らせを聞いた母の多くの友人達はお線香をあげに来てくれました。
幸せな猫だったなと、こころから思うし、チビに対してはやり残したことはない悔いのない接し方をしてきたことである意味満足感があります。

ここまで読んでくれてありがとうございました。

合掌

(2003/07/02)

と、ここまでが過去に書いた文章だ。


たかが猫だと、
実際、そう言う人もいた。

そうだ。たかが猫でも僕のことを全力で愛してくれた存在なのだ。
誰がなんと言おうとも、僕の心の中でずっと息づいている大切な存在だ。

そして、いま
涙があふれて…
仕方ない。🥺


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