「いいなぁ、あいつ」

って、
隣の芝生は青く見える。
という具合に、
人の状況を羨ましく思うこと…

これやっててもなぁ、
まったく良い氣分になることがないばかりか、
劣等感やら、
現実に満足できていないことを思い知ったり、
将来を悲観視することになったり、
幸せとは逆の方向になるばかりで、
ろくなことがない。

なんでかな…

それは、
たぶん、
他人を羨んでいるときは、
自分の世界に生きていないからだ。

もともと僕らは、
自分中心の経験の宇宙にいて、
その視点、観点で、
生きている。
もとから他人の経験の宇宙を生きることはできないのだ。

そんな個々で違う経験の宇宙を、
比べること自体に意味がないのだ。

一瞬、他人目線の宇宙に憧れて、
叶うべきもない他人中心の宇宙を自分のものにしようとしている。

幸せな人は、
ただ幸せなのだ。
自分中心の経験の宇宙で、ただ幸せだと思っているのだ。

むかし、
ある精神世界系のワークに参加したときに、
グループディスカッションの席で、
「どうしたら幸せになれるの?」
と、問いかけたことがあった。

その結果、
「幸せだと思ったもの勝ちだね!」
ってことになった。

他人がどんなに否定しようとも、
その本人が幸せだと思っていたならそれは幸せなのだ。

他人の芝生を観てばかりいると、
氣がつかないのだが、

自分が持っているものの中に、
他人も羨むかもしれない、
お宝があるかもしれない。

注意を向けるのは他人の芝生ではない。

今ある幸せに氣づく。

自分の宇宙を生きることに専念することの方が、
他人の芝生の青さを羨むこと以上に、
自分の持ち物の中にずっと価値あるものを見つけることができるというもの。

身近にあるものに限って、
意外と見えていない。
それだけなのかも知れないね。



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