氣分屋なもので…

昨日語っていたことが、
今日には
「ん?そうは言ったものの…」
と、一転。
なんてこともある。😅

昨日は、長いものにいつも巻かれ続けていると麻痺してしまい、
苦しいことにも気づかないんじゃない?
だからおかしなことには「それ、おかしいだろ!」って声をあげようよ!
ということを言った。

この意見は今でも変わってはいないけれども、
昨日の記事を書いたときの僕の心理状態、そう心にある感情面では、
相当に怒りの感情が含まれていたと思うのだ。
情けないぞ日本人、奮起して拳を上げろ!的なエネルギーがあったのだと思う。

しかし、後になって

ふと、氣づいたことは、
「そうだ、大事なことを忘れてたな」
ということだ。

世界の平和は、各々の心の平安から創られる。
まずは自分の心の状態を平和な状態に持っていかなければいけないのだ。

これは他人ができることではなく、
自分にしかできないことなのだ。

以前には「何故か暴力的な平和主義者」の記事を書いたことがあるけれど…

平和主義者たる者が、心の中に怒りや暴力的思考を持ちながらでは、それは平和主義ではない。実際には心の中には平和的思考のかけらもない、それが故に当然と言えば当然なのだが暴力的な行為に及んでいる人たち。
行動も存在自体も、語る主義主張と全く整合が取れていない、単なる自称平和主義に過ぎない。

心の中身と、人々に示す形が裏腹であってはならないのだ。

そういう意味では、
昨日の僕の考えに付加して
「心を平安に保つ」
努力というか、心がけが大事なのだと思う。

僕らの現実を創造する源は、心の中にあり、そこがすべての元、ベースなのである。


どんなに絶望して、落胆していても心の中だけは自らの意識、パワーによって動かすことができる。

絶望している場合じゃない。

自分の内側に意識を向けて、
そこに何があるのかを認識しよう。



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