昨日は「アフリカの子ども」をネタにして書いたけど。

40年も前のことになるのか…
あの頃、国際児童年(1979年)当時、テレビでは盛んにアフリカの飢えに苦しむ子どもたちの映像をかなりの時間を割いて放映してきた。

子どもながらに「可哀想」「あぁこういう悲惨な事実があるんだな」「日本人に生まれてよかった」などそんな思いを抱いていた。
子どもだからこそなのだが、その原因やカラクリのようなものにまで思いを巡らせることはなかった。

子を持つ親の世代になればある程度は誰でもこんな思いをもつのは当たり前なのだと思う。
子どもは大人の手で守らなければ!と。
子どもの不幸は親の責任、まして飢餓状態など大人が命を張ってでもその状況を変えてゆかなくてはいけないもの。

それを踏まえて言うけれど。

アフリカの大人たちはいったい何をやっていたんだ?

原因は一つではないけれど、大きな所は終わらない紛争。
飢饉もあろうが、紛争のただなかでどうやって作物を安定的に栽培収穫できよう?
政情不安な世の中で経済が安定などするはずもない。

いつだって割を食うのは弱い立場の存在たちだ。

己の理想と思う政治思想を主張するのは結構。
争いに明け暮れる日常を過ごしていて、あなたたちの大切な家族を衣食住足りるよう守れるのか?

もっと大きな視野で観てみれば、裏で糸を引く大国の思惑なんていうものが見えてやるせない気分にもなる。
そんな思惑方の駒として紛争に従事しているアフリカの大人たちも実のところ憐れな人達なのかも知れない。

アフリカの大人
たちはどういう世界に住むことを眞に望むのか?
一旦立ち止まり、心を静かにして観る必要があるのではないのだろうか。

結局が、
平和を望むならば、個々人の心の平安こそが大事。
ここに行き着く。


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