私達の本質が心だとするならば、この肉体は「心」を包む鎧なのかも知れない。

僕らが死を経験したときに、この鎧が脱ぎ捨てられ、本質のみの「霊」としての姿となる。
その時には、心が丸裸になるわけだ。

物質世界では、たとえ偽善だとしても、偽りの微笑みをたたえ、声色を変え、美辞麗句を並べればそれなりの世渡りができる。
そんな人にとっての恐怖といえば、自分の心が丸裸にされることなどは恐るるべきことの一つなのではないかと…

霊界というところは、心の醜い者、偽善者にとってはまさしく地獄となるだろう。
清き心を持つ者は霊界にいてこそ、真の自分の存在を自他に示し、またその本質を発揮することだろう。

「天国に行く」「地獄に落ちる」というものは、閻魔大王のような存在が裁定するのではなく、きっと、自らの心の清らかさ、正しさによりけりということになるのではないかと思っている。

かたちある世界に暮らす僕らは、目に映る物質の価値ばかりに目をとらわれそうだが。
本当に大切なものは「目に見えないもの」にある。

着飾って、他人を欺いたつもりでいるかも知れないが、いつか、その本質である心が隠しようもないという世界に行き、誰からも見透かされるときが必ず来るのだ。

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