ブログランキング参加中*お願い!クリック

「賛成の反対なのだ」この言葉は、言わずと知れた?(年代によるかなぁ…)かのバカボンパパの名文句である。
ちなみにバカボンパパは、「柳の下に猫がいる。だからネコヤナギ。」と言いきってしまうくらいすごい人なのである。(もちろんアニメキャラなので架空の人物である)

さて、「賛成の反対なのだ」というこの文言は、いやいやこれが、馬鹿にしたものではなく意味深いと思うのだ。
「真」の逆はかならず「偽」なのか?といえばそうとも言えない。

この「賛成の反対」とは「反対」のことなのかといえば、絶対に反対であるとは言えないのも確かなのだ。
第三のニュアンスともいうのか、煙に巻く表現とも言えるし、自信なさげな言い方にもとれる。
この曖昧さはもしかすると日本人には馴染みなのかも知れない。
この「曖昧さ」というのも、わざと曖昧にするという明確な意図を持って行ったわけでなく結果として曖昧な表現となったというのがわりと多いパターンではないかと思うのだ。
単純な意味での「曖昧さ」ではなく、いわゆるあらゆる含みを持っている。

例えば、相手を傷つけまいとする気持ちの表れだったり、時には自己保身のためかも知れないし、今の時点では決着を付けたくないときとか…
「イエス」か「ノー」か「好き」か「嫌い」かで判断できないものもたくさんある。
「イエス」と「ノー」の間には人により無段階の刻みがあるはずだ。
この無段階こそが「曖昧さ」の現れともいえるわけだ。

「○○の逆」とか「○○の反対」もその無段階を表す表現の一部かも知れない。

しかし、この表現手法をわざと使うとおかしな事も起こるわけで…
さっきの、「真」の逆はかならず「偽」なのか?といえばそうとも言えない。という例だ。

「おまぇって本当にケツの穴のちっちゃい奴だなぁ!」とストレートに言ったとしよう。この言葉を聞かされた相手は憤慨するなり、気を落とすなり、けっして気分の良い思いをすることはないだろう。
じゃ、相手の気分を害すまいと否定的表現をさらに逆にしたとしよう。理屈の上では否定の反対は肯定である。
「おまぇってケツの穴が小さいとはいえない奴だなぁ!」と言えば含みは持っているが何が言いたいのか変に混乱する。
逆に太っ腹な相手へのよいしょのつもりで「あなたは本当にケツの穴のでっかい人ですね!」と言ったら?
「一体なにが言いたいんだ?オマエは!!」と怒られそうだ…

さてさて、こんな事を書いているこの僕にたいして「一体なにが言いたいんだ?オマエは!!」と言われそうだが…
「このデザインどう思う?」とデザイナーの友人が聞いてきたとしよう。

心の中ではどちらかといえば好きじゃないデザインだなと思ったとする。
「好き」か「嫌い」かの二択でいえば嫌いなのだ。
でも「オレ嫌いだよ」とは言いたくない。
だってせっかくその友人がデザインして、きっと言い返答が欲しくて自分に聞いてきたのだろうから…
そんな思いも持ちつつ、「うん、嫌いじゃないね。」という表現を使うこと良くあるんじゃないかな?

言いたいことは人とのコミュニケーションを円滑にするのもぎくしゃくさせるのも言葉のもつ意味は大きい。その言葉の表現で大事なのは「形」としての体裁を飾ってみたり、「理屈」の上でのつじつま合わせではないということだ。
心がまずありきであり、心の表現として言葉が出ると言うことだ。
頭で考え考え理屈をこねてできあがった文章を読んだような言葉というのは、なにか心がこもっていないと感じたことはないだろうか?
官僚答弁みたいなね…

「デザインが好きか嫌いかで言う前に、まずその定義づけさせて頂きたいと思います。まず人はそれぞれ主観的な・・・」なんて始まったら?

こんな堅苦しい表現じゃないにしても、退きますわなぁ…

ブログランキング参加中*お願い!クリック