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自分の体験する現実は自分が決めている。
または自分が引き寄せているという言い方もあるが…

少なくとも僕らは常に何らかをジャッジしていることは確かだと思うのだ。
例えば、「病気になるということは不幸なことだ。」というジャッジ。
そういうジャッジをしている人が病気になったときにはきっと、いい感じはしないと思うのだがどうだろう?
むしろ不幸な自分を感じることだろう。

でも、感じてしまうからそう思う。そしてその感じから決めてしまうこともあるのではないか?

嫌〜な奴と出会ったとき。
「嫌な奴だなぁコイツ…」と感じているだろう。
そうしてジャッジする。

感じるからそう決めるのか?それともそう決めるからそう感じるのか?
って疑問がわいてくるのだが…

たぶん後者なのだ。
決めるからそのように感じる。

自分がある物事をどのように決めているか?を顕在意識で認識しているか、そうでなく潜在意識で認識しているかの違いだけなのだ。

「感じること」は「経験すること」だ。

感じることの礎である決め事(信念)を変えることが経験することを左右する。

よく、「思いようでどうにでもなる…」とは言うけれど、「こう思おう…こう思おう…」と努力しても、やっぱり思い切れないことだってあるもの。
潜在意識までもを支配しなければ。

矛盾するようだけど、この潜在意識を支配するには思いこみの力だけでなく、感じを強く(抱く)味わうことも重要な要素の一つなのだ。
つまり心を動かすこと。

現実を変えたいと思っているのに変えられない。
きっとこういう人はこの世の中に山ほど、いや数え切れないほどいることだろうな。

無感動が最大の敵ということか…

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